英連邦大臣
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イギリス 英連邦大臣 Secretary of State for Foreign, Commonwealth and Develpment Affairs | |
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種類 | 閣内大臣 |
所属機関 | 内閣 |
指名 | 首相 |
任命 | 国王 |
任期 | 陛下の仰せのままに |
創設 | 1966年8月11日 |
初代 | ハーバート・ボウデン |
最後 | ジョージ・トムソン |
廃止 | 1968年10月17日 |
英連邦大臣(えいれんぽうだいじん、英語: Secretary of State for Commonwealth Affairs)は、イギリスの閣内大臣。1966年8月1日に英連邦関係大臣と植民地大臣が合体されて設立された[1]。この時期のイギリスでは外交部門の縮小が進められており、1965年には外国と植民地向けの外交官制度が合併された[2]。そして、1968年3月に外務大臣ジョージ・ブラウンが辞任すると、首相ハロルド・ウィルソンは外務省と英連邦省の合併を決意した[2]。6か月間の準備を経て1968年10月17日に外務・英連邦省が発足すると、外務大臣マイケル・ステュアートが外務・英連邦大臣となった[2]。英連邦大臣だったジョージ・トムソンは無任所大臣に転じた[2]。
合併後の省名については議論があり、海外省(Overseas Department)、外部事務省(Office of External Affairs)、海外関係省(Office for Overseas Relations)など多くの案が出され、さらにホーム・オフィス(Home Office、内務省)と対になるよう「アウェイ・オフィス」('Away' Office)という案まであった[2][注釈 1]。最終的には合併前の省名をそのままくっつけた外務・英連邦省が選ばれた[2]。
一覧
[編集]氏名 | 就任 | 退任 | 政党 | 首相 | 外務大臣 | ||
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ハーバート・ボウデン | 1966年8月11日[3] | 1967年8月29日 | 労働党 | ハロルド・ウィルソン | マイケル・ステュアート | ||
ジョージ・ブラウン | |||||||
ジョージ・トムソン | 1967年8月29日[4] | 1968年10月17日[2] | 労働党 | ||||
マイケル・ステュアート |
注釈
[編集]- ^ 訳注:ホーム・アンド・アウェー方式から連想した洒落。
出典
[編集]- ^ "The Secretary of State for Commonwealth Affairs Order 1966". legislation.gov.uk (英語). 2024年1月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g Smith, Richard (17 October 2018). "1968 and all that: the creation of the Foreign & Commonwealth Office". gov.uk (英語). 2024年1月31日閲覧。
- ^ Fieldhouse, David; Madden, Frederick (1985). Select Documents on the Constitutional History of the British Empire and Commonwealth: The Dominions and India since 1900 (英語). Vol. I. Bloomsbury Academic. p. xxiv. ISBN 0313238979。
- ^ "Promotion". Aberdeen Press and Journal (英語). 29 August 1967. p. 1.