英ノ国一
表示
| ||||
---|---|---|---|---|
基礎情報 | ||||
四股名 | 英ノ国 | |||
本名 | ネイトン・ジョン・ストレンジ | |||
生年月日 | 1971年8月23日(53歳) | |||
出身 |
イギリス イングランド バーネット・ロンドン特別区エッジウェア | |||
身長 | 193cm | |||
体重 | 102kg | |||
所属部屋 | 東関部屋 | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東序二段89枚目 | |||
生涯戦歴 | 9勝5敗14休(5場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 1989年9月場所 | |||
引退 | 1990年5月場所 | |||
備考 | ||||
2012年12月8日現在 |
英ノ国 一(ひでのくに はじめ、1971年8月23日 - )はイングランド出身で、東関部屋に所属していた元大相撲力士。本名はネイトン・ジョン・ストレンジ(英語表記:Nathan John Strange)。身長193cm、体重102kg。最高位は東序二段89枚目(1990年3月場所)。
現役当時は史上初の英国出身力士[注 1]として話題を集めた。
来歴
[編集]もとはイギリスで写真店に勤務していたが、テレビで見た日本の大相撲に興味を持ったため、英国相撲協会に参加した。英国相撲協会で9ヶ月間の稽古を積んだ後、米国出身で英語を話すことが出来る東関親方(元関脇・高見山)が経営する東関部屋に入門、1989年9月場所で初土俵を踏んだ。四股名は出身国名に因んだ英ノ国。史上初のヨーロッパ出身力士としてファンの注目を浴びたが、その注目のせいで部屋ではいじめ被害に遭っており、大相撲の世界に馴染めなかったため1990年1月場所を最後に部屋から脱走。師匠の説得にも応じなかったため、同年5月場所限りでの廃業届が出され、廃業した。師匠は異国から苦労して出世した経験を持つため、逆境に耐えられない英ノ国をあまり積極的に守らなかった。
エピソード
[編集]- ちゃんこ鍋などの食事も合わず、体重が最初の2ヶ月で22kgも減ったという[1]。
- 序ノ口だった1989年11月場所で同期生の武蔵丸との取組が組まれたが、この時お互いに東西を間違えて土俵下の控えに入る事態が起きた。本来ならば審判委員によって注意され、本来の位置へ戻るはずだが、当時は両者とも日本語をあまり理解できなかったため、そのまま取組が行われた。
主な成績
[編集]- 通算成績:9勝5敗14休(5場所)
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
1989年 (平成元年) |
x | x | x | x | (前相撲) | 西序ノ口38枚目 5–2 |
1990年 (平成2年) |
西序二段123枚目 4–3 |
東序二段89枚目 休場 0–0–7 |
西序ノ口7枚目 引退 0–0–7 |
x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 英ノ国 一(ひでのくに はじめ):1989年9月場所 - 1990年5月場所
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]外部リンク
[編集]- 英ノ国 一 - 相撲レファレンス
- 英ノ国:時事ドットコム