若林徳懋
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若林 徳懋(わかばやし のりしげ、1874年(明治7年)12月20日[1] - 1939年(昭和14年)1月24日[2])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員。
経歴
[編集]島根県周吉郡、のちの中条村、現在の隠岐の島町中央部出身[3]。1896年(明治29年)島根県師範学校を卒業[2]。ほか、明治法律学校、早稲田専門学校に学ぶ[3]。小学校長となったのち農業に転じ、ついで中条村長、村農会長、島根県会議員、同参事会員、西郷町外十一箇村組合議員を歴任[2]。ほか、満韓塩業社員、原田興業社長、同顧問を務めた[2]。
1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で島根県第6区から立憲政友会所属で出馬して当選し[3]、1期務めた[2]。のち政友本党所属に転じた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局 編『衆議院要覧 下巻』衆議院事務局、1920年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。