若宮友興
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若宮 友興(わかみや ともおき、生年不明 - 永禄9年(1566年)頃?)は、戦国時代の武将。浅井氏の家臣。通称は喜助。
詳細の明らかな武将ではない。妻は明智氏家臣・石川小四郎の娘とされる。
永禄9年(1566年)、友興と同一人物と考えられている若宮左馬助が討死し、その娘・まつに対して安堵状が出されている。通説では、この「まつ」が山内一豊の室・見性院(千代)の幼名とされてきたが、近年の研究で「まつ」は山内氏家臣・五藤為重に嫁いだ事が判明し、見性院も美濃斎藤氏家臣の遠藤盛数の娘とする説が有力である。
なお、友興は永禄3年(1560年)8月の野良田の戦いで戦死したともいわれ、司馬遼太郎の小説『功名が辻』はこの説に準じている。