苗木勘太郎室
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苗木勘太郎室(なえきかんたろうしつ、生没年不詳)は、戦国時代の女性。織田信秀の4女[1]。織田信長の姉妹[1]。名は不詳。
略歴
[編集]諸系図によれば、東美濃の有力国衆であった苗木遠山氏と関係を深めるため、信秀の4女は苗木勘太郎に嫁いだ。時期や経緯など詳細は不明。苗木勘太郎とは通説では遠山直廉のこととされる。織田信秀の妹のおつやの方も岩村遠山氏の遠山景任に嫁いだので、織田氏と遠山氏は重縁の関係であった[1]。
永禄8年(1565年)に金山城の森可成と米田城の肥田玄蕃允を武田軍に攻撃された後、信長はこの女性が産んだ苗木の娘を自分の養女として[1]、武田信玄と同盟を結ぶために織田掃部助を派遣して、武田勝頼との婚儀をまとめた。この娘が後の龍勝院で、勝頼嫡男の信勝を産み、元亀2年(1571年)9月16日に死去した。
苗木勘太郎室については生没年不詳。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 西ヶ谷恭弘『考証織田信長事典』東京堂出版、2000年。ISBN 4490105509。
- 堀田正敦 編「国立国会図書館デジタルコレクション 織田氏」『寛政重修諸家譜』 114巻 。