芹沢政温
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芹沢 政温(せりざわ せいおん、天保10年(1839年)[1] - 明治39年(1906年)8月28日)は、置賜県参事、裁判官、大審院判事。
経歴
[編集]米沢藩に生まれる。藩主上杉斉憲御近習、刑法局、藩庁大属、権小参事などを経て、1871年(明治4年)11月に権参事、1872年(明治5年)11月に参事となる。1873年(明治6年)5月、参事を免官され、1875年(明治8年)、判事に任官されると、1877年(明治10年)、名古屋裁判所判事、1882年(明治15年)、秋田始審裁判所判事長・同所長、1887年(明治20年)、第一期東京重罪裁判長[2]、1888年(明治21年)、東京控訴院評定官、1889年(明治22年)、福井重罪裁判長[3]を歴任し、のちに大審院判事となった。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ 松野良寅「米沢洋学の系譜 (三)」『英学史研究』第1989巻第21号、日本英学史学会、1988年10月、15-36頁、doi:10.5024/jeigakushi.1989.15、ISSN 03869490、NAID 130003624839。
- ^ 『官報』第1055号「叙任及辞令」1887年1月10日。
- ^ 『官報』第1856号「叙任及辞令」1889年9月4日。
- ^ 『太政官日誌』明治9年7月-12月
- ^ 『官報』第4689号「叙任及辞令」1899年2月21日。
- ^ 『官報』第6952号「叙任及辞令」1906年8月30日。
公職 | ||
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先代 芹沢政温 |
置賜県参事 1872年-1873年 |
次代 関義臣 |