芳村覚司
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芳村 覚司 | |
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生誕 |
1889年5月7日 日本 奈良県 |
死没 | 1958年12月9日(69歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
芳村 覚司(よしむら かくじ、1889年(明治22年)5月7日[1] - 1958年(昭和33年)12月9日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1889年(明治22年)に奈良県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期卒業[2]。1940年(昭和15年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第125連隊長(北部軍・樺太混成旅団)に着任[1][3]。1944年(昭和19年)10月に第30警備司令官(第5方面軍)に転じ[1][3]、網走で警備の任に就いた[1]。1945年(昭和20年)3月9日に宗谷要塞司令官に就任し[1]、6月10日に陸軍少将に進級し[3]、終戦となった[1]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。