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花房 雷嶽(はなぶさ らいがく)、宝暦2年(1752年)- 天保15年9月21日(1844年11月1日)[1])は江戸時代中期-後期の儒学者、漢学者、教育者。名は正慶・正恒。字(あざな)は子斐・積善。通称は伝蔵・藤九郎。雷嶽はその号[2]。
福岡藩士として筑前国に生まれる[1]。藩儒島村秋江に学ぶ[2]。
天明4年(1784年)藩校修猷館の佐訓導となる[2]。
寛政8年(1796年)から福岡藩主黒田家の家譜の編修に携わり、文化9年(1812年)竹田梧亭のもとで完成させた[1]。
著作に『三個条広義』『水原若宮縁起』がある[2]。
- ^ a b c 『日本人名大辞典』(講談社、2001年)1512頁 「花房雷岳」として記載
- ^ a b c d 『国書人名辞典 第4巻』(岩波書店、1998年)53頁