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舟越康寿

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舟越 康寿(ふなこし やすじゅ、1901年12月13日[1] - 1971年6月27日[2])は、日本経済学者歴史学者

経歴

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鳥取県日野郡生まれ。1921年鳥取師範学校卒。1925年3月に廣島高等師範学校を卒業[1]。このころ、名字を岡と改める[3]。同年、岐阜県立大垣高等女学校教諭、1927年広島県立府中中学校教諭、1929年から1933年3月まで熊本県立御船中学校教諭[1]。同年4月に廣島文理科大学入学[4]。卒業論文「メロヴィング朝に於ける土地制度の発達」[5]をまとめ、1936年3月同大学西洋史学科を卒業[6]し、同大学副手として西洋史学教室勤務ののち、1940年文部省図書監修官補となる[1]。その後、文部省民族研究所嘱託[2]を経て、1945年に立命館専門学校講師、1946年に同校教授[7]1949年専修大学教授、横浜市立大学教授。1960年、「金沢称名寺寺領の研究」で慶應義塾大学経済学博士[8]1965年、横浜市立大学定年退官、名誉教授。1967年札幌大学の開学と同時に、同学教授[9]。また同年、経済学部長と学生部長も務める[10]。1968年度同学教授退職[11]1969年城西大学教授、明星大学教授。

著書

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  • 『東南アジア文化圏史』三省堂 1943
  • 『フルダ律院古文書集の古文書学的考察』1953 横浜市立大学紀要
  • 『孫四郎橋の研究』政治経済史学会 1965
  • 『南方文化圏と植民教育』大空社 1998 アジア学叢書
  • 『寂寥 学究・その半生の愛』文芸社 2003

翻訳

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  • 新見吉治『日本に於ける武家政治の歴史』創元社 1941 日本文化名著選
  • ルヨ・ブレンタノ『欧羅巴古代経済史概説』日本評論社 1944 西洋経済史名著選集

参考

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  • 『寂寥』巻末年譜
  • 阿部市五郎「故舟越康寿教授追悼の辞」『明星大学経済学研究紀要』第3号、明星大学経済学部、1971年、3頁、ISSN 0385-5678 
  • 札幌大学十五年史編纂委員会 編『札幌大学十五年史』札幌大学、1981年。 NCID BN01657924 
  • 署名無し(著)、日本歴史地理學會(編)「各大學史學科卒業論文題目(一)」『歴史地理』第67巻第3号、地人書館、1936年、106-111頁、NCID AN00254866 

出典・脚注

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  1. ^ a b c d 「舟越康寿ヲ文部省図書監修官補ニ任用」『公文雑纂 昭和15年 巻71』”. 国立公文書館 (1940年11月26日). 2022年11月2日閲覧。
  2. ^ a b 阿部市五郎 1971
  3. ^ 『廣島高等師範学校・第二臨時教員養成所一覧』廣島高等師範学校、1925年11月20日、294頁。NDLJP:985524/155  その後、舟越に改めるがその時期は未詳。
  4. ^ 『官報』第1896号、昭和8年5月1日、p.19.NDLJP:2958368/10
  5. ^ 署名無し 1936
  6. ^ 『廣島文理科大学・廣島高等師範学校・元第二臨時教員養成所一覧 昭和12年』廣島文理科大学、1937年9月20日、186頁。NDLJP:1457159/101 
  7. ^ 『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年9月1日、補遺29頁。NDLJP:2997935/282 
  8. ^ 金沢称名寺寺領の研究 舟越康寿”. 国立国会図書館. 2012年9月5日閲覧。
  9. ^ 札幌大学十五年史編纂委員会 1981, p. 532
  10. ^ 札幌大学十五年史編纂委員会 1981, pp. 529, 527
  11. ^ 札幌大学十五年史編纂委員会 1981, p. 535