舞鶴橋 (大分市)
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舞鶴橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 大分市 |
交差物件 | 大分川 |
建設 | 1954年(昭和29年)10月6日[1] |
構造諸元 | |
全長 | 302.6m[1] |
幅 | 20m[2] |
関連項目 | |
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舞鶴橋(まいづるばし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。国道197号の一部を構成する。橋の名称は、架橋地点の大分川左岸の地名から採られている。
沿革
[編集]現在の国道197号は、1876年(明治9年)に大分と佐賀関の間が愛媛街道として開通。この時、大分川には現在の舞鶴橋のやや上流に木造の津留橋が架けられた。この橋は地域の名所となり、舞鶴橋という愛称で呼ばれた[3]。
1953年(昭和28年)6月26日には、梅雨前線による西日本水害で舞鶴橋及び鶴羽橋が流失。右岸の大分市津留地区が孤立した。同地区には約500世帯の住家があり、また、高等学校2校、中学校1校もあったため、大分川の派川(分流)の裏川に木造の仮設橋である下津仮橋を架けて、滝尾橋経由で大分市内への交通を復旧した[4][5][6]。
舞鶴橋の新橋は鉄筋コンクリート橋で1954年(昭和29年)10月6日に竣工。当初の計画では幅9mだったが、当時の大分市長上田保が建設省に直談判して幅15mにさせたという[1][7]
1975年(昭和50年)には、国道197号の交通量が増加しこの橋が渋滞のネックとなっていたため、幅を15m(車道10m、歩道2.5m x 2)から20m(車道13m、歩道3.5m x 2)に拡幅し、車道が2車線から4車線に増やされた[2][8]。
脚注
[編集]- ^ a b c 大分市報 第198号 昭和29年10月16日 (PDF)
- ^ a b 市報おおいた 昭和48年7月15日号(No.649) (PDF)
- ^ デジタルブック版『大分今昔』 第二十六章 津留かいわい (PDF) 渡辺克己、大分合同新聞社、2008年2月8日
- ^ 水・川・家・人の記憶 西日本大水害から50年、災害を忘れないために 九州大学附属図書館
- ^ 水辺だより シリーズ 語り継ごう 昭和28年6月河川災害の記憶 4 一般社団法人九州地方計画協会
- ^ 大分市報 昭和28年7月1日号(No.167) (PDF)
- ^ 『ロマンを追って 元大分市長上田保物語』 第十章「ロマンチスト」 (PDF) 中川郁二、大分合同新聞社、2003年2月15日(デジタル版:2008年5月16日)
- ^ 四車線でゆったりと 舞鶴橋の拡幅終わる(1975年7月号 広報おおいた) 大分県