興津正忠
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 享禄元年(1528年) |
死没 | 慶長2年4月25日(1597年6月9日) |
別名 | 久七郎、内記 |
戒名 | 常益 |
主君 | 今川義元→徳川家康→秀忠 |
氏族 | 藤原南家為憲流興津氏 |
父母 | 父:興津正道 |
妻 | 飯尾長門守娘 |
子 | 興津直勝室、忠能、伊丹順斎室 |
興津 正忠(おきつ まさただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。今川氏、徳川氏の家臣。
略歴
[編集]興津氏は駿河国庵原郡興津を姓の地とする国人。戦国期には今川氏に仕えた。
享禄元年(1528年)、興津正道の子として誕生。今川義元に仕えたが、義元没後は徳川家康に仕え、天正7年(1579年)に徳川秀忠が誕生した際にその配下となった。
天正19年(1591年)相模国高座郡に300石を領した。家督は子・忠能が継ぎ、加増されて以後は旗本として続いた。
出典
[編集]- 「寛政重修諸家譜」巻第876