興仁之門
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흥인지문 | |
別名 | 東大門(トンデムン、동대문) |
概要 | |
用途 | 城門 |
所在地 | ソウル特別市鐘路区鐘路288 |
国 | 韓国 |
着工 | 1396年 |
改築 | 1453年・1869年 |
所有者 | 大韓民国政府 |
管理機関 | 鐘路区庁 |
その他の情報 | |
交通アクセス | 東大門駅 |
興仁之門 (東大門) | |
---|---|
画像 | |
各種表記 | |
ハングル: |
흥인지문 동대문 |
漢字: |
興仁之門 東大門 |
発音: |
フンインジムン トンデムン |
日本語読み: |
こうじんしもん とうだいもん |
RR式: |
Heunginjimun Dongdaemun |
MR式: |
Hŭnginjimun Tongdaemun |
興仁之門(フンインジムン、こうじんしもん)は、李氏朝鮮時代に漢陽(ソウル)を取り囲んだ城郭の門。東大門(トンデムン、とうだいもん)とも言い、大韓民国指定宝物第1号に指定されている。
概要
[編集]1396年(太祖5年)に初めて建てられ、1453年(端宗元年)と1869年(高宗6年)に修繕されている。四大門の名前は儒学の徳目である“仁義礼智信”から取ったが、これにより東西南北の四大門は興仁之門、敦義門、崇礼門、粛靖門(智の代わりに靖を使った)となった(ちなみに最後の信は高宗代にソウルの中心だった“普信閣”の名前に使われた)。なお、他の四大門の名前が3字であるのに対し、興仁之門だけが4字となったが、これは風水地理によると、漢陽の東の地気が弱く、その気を高めるため4字にしたとされる。
日本統治下の1934年、朝鮮総督府は崇礼門を宝物第1号に、興仁之門を宝物第2号に指定した。日本(朝鮮総督府)は、崇礼門と興仁之門を朝鮮における最重要文化財としてほぼ同列に扱った。1962年、大韓民国政府は、崇礼門を国宝第1号に指定したが、興仁之門は国宝に指定されず、1963年、格下の大韓民国指定宝物第1号になった。理由は、現在の門は1869年に建て直されたためとされる[1]。
元々興仁之門は東大門区に属したが、何度か行政区域が調整され、現在は鐘路区 に属している。
2018年3月9日午前2時頃、放火により2階欄干付近から出火したが、約4分で消防署員らにより鎮火され、大きな被害は無かった[2]。
脚注
[編集]- ^ ソウル市 iTour Seoul おすすめの旅(ソウル観光公社) 記事提供:ソウル特別市観光振興担当官 2010年6月20日
- ^ “韓国「宝物1号」興仁之門で放火と推定される火災…内部焼ける”. 中央日報 (2018年3月9日). 2018年3月10日閲覧。
関連項目
[編集]- 高興門 - 韓国の政治家。名前はこの門に由来。
外部リンク
[編集]- ソウル興仁之門 - 文化財庁
- Korea Roadview 興仁之門
座標: 北緯37度34分16.15秒 東経127度0分34.70秒 / 北緯37.5711528度 東経127.0096389度