臼井OZMA孝文
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臼井OZMA孝文 | |
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別名 | OZMA(オズマ) |
生誕 | 1961年8月30日(63歳) |
出身地 | 日本 京都市 |
学歴 | 京都府立朱雀高等学校卒業 |
ジャンル | |
職業 | ベーシスト |
担当楽器 | ベース |
活動期間 | 1980年 - |
共同作業者 | |
公式サイト | ozmania |
臼井 OZMA 孝文(うすい オズマ たかふみ、1961年8月30日 - )は、日本のベーシスト。
1980年代、ジャパニーズ・メタルムーブメントの先駆け的存在となったハードロックバンド、Rajas、X-RAYベーシスト。
現在はハードロックバンド OZMA-X、ROCK CHILDでソングライター・ベーシスト・リーダーとして活動中の他にTHE LOVEROCK VIOLENTにも在籍。
愛称の「OZMA」の由来は、あるロックバンドのマネージャーが「巨人の星」に出てくる登場人物「アームストロング・オズマ」に似ており、そのマネージャーと臼井孝文が少し顔が似ていたため、「OZMA」と呼ばれるようになった。命名はLOUDNESSの山下昌良。京都市上京区出身[1]。
略歴
[編集]1977年、バイクの交通事故で足を骨折。治療中、時間つぶしにベースを購入したのがきっかけ。
1978年、京都府立朱雀高等学校の同級生バンド
1980年 、蛾美蛮で京都市内のライブハウス・サーカス&サーカスに初めて出演。11月、蛾美蛮を脱退、新たにバンドRajas(命名はキーボードの藤井良明) を結成。
1983年2月、ベーシストが脱退したX-RAYから加入の要請。当時はRajasのリーダーでもあったので一旦断るが、再度の加入要請を受け入れる。
3月、Rajas脱退、X-RAY正式加入。6月、テイチクから1stアルバム「魔天」にてデビュー。
1986年2月5日、大阪キャンディホールのライブでX-RAY解散。
2010年、24年ぶりに東京でライブ活動再開。ROCK CHILDの活動本格化。
2017年1月、ソロプロジェクトOZMA-X始動。ライブ開始と同時に1stシングル「OZMAJESTY」を発表。
人物
[編集]X-RAY時代はESPのカスタムベースを使用していた。また、ローズネックのフェンダー・プレシジョンベースを好んで用いていたが、2010年からはATELIER Z ギターワークスのジャズベースがメインベースとなる。使用アンプはライブバー等の小さな会場ではLittle Mark 800のアンプをBAGENDのS12-Nにつないでいる。大きな会場ではAGUILARを使用する。
イベントの主催も兼ね、毎夏に高円寺ショーボートで開催される「It's a HARD ROCK NIGHT !」は恒例になっている。
中学生の時から映画を観るようになる。年間100本観るのが中学生時代の目標だった。
作品
[編集]X-RAY
[編集]オリジナル・アルバム |
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ミニ・アルバム |
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ベスト・アルバム |
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- Rajas
- 「Precious Time」(2011)楽曲提供。
- ROCK CHILD
- 「Back To Rock」(2011)
- OZMA-X(Single)
- 「OZMAJESTY」(2017)
- 「OZMAJESTY Ⅱ」(2017)
参加音源
[編集]- 本城未沙子 "DREAMER" 「VAMPIRE」「PRECIOUS TIME」(1984)
- 福村高志(Rajas、X-RAYの初期のドラマー) "TURN THE TABLE"(1992)
- REIKA "GYPSY QUEEN"(1992)
- EARTHSHAKER / Rajas "治外法権" 35周年記念スペシャルライブ(2010)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ ロッキンf 1985年2月号(77p)
- ロッキンf1985年7月号(96p)
外部リンク
[編集]- 臼井'OZMA'孝文 OffcialSite
- 臼井OZMA孝文 - Ameba Blog
- 臼井OZMA孝文 (takafumi.usui.77) - Facebook
- 臼井OZMA孝文 (@OZMA_TAKAFUMI) - X(旧Twitter)
- X-RAY - (X-RAY公認サイト)