自由の広場
「自由の広場」 | ||||||||
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ティム・ハーディン の シングル | ||||||||
B面 | 何故生まれてきたの | |||||||
リリース | ||||||||
規格 | 7インチ・シングル | |||||||
ジャンル | フォークロック | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル | コロムビア・レコード | |||||||
作詞・作曲 | ボビー・ダーリン | |||||||
プロデュース | ゲイリー・クライン | |||||||
チャート最高順位 | ||||||||
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ティム・ハーディン シングル 年表 | ||||||||
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「自由の広場」(Simple Song of Freedom)は、ボビー・ダーリンが作詞作曲した反戦歌。1969年にティム・ハーディンがシングルとして発表し、全米50位を記録した。
概要
[編集]1969年、ボビー・ダーリンはロサンゼルスに活動の場を移し、自身のレーベル「ディレクション・レコード」を立ち上げた。そして「自由の広場」を書いた。本作品はアレクサンドル・ソルジェニーツィンが歌詞に登場することで知られる。「同志ソルジェニーツィンよ、君は忙しいだろうか/もしそうでなけれぱ友であるこの僕に手紙を書いてくれ/土地を耕している人間が気がかりなのは/兵器なのかどうか僕は知りたい」
同じ年、ティム・ハーディンはヴァーヴ・フォアキャスト・レコードを離れ、コロムビア・レコードに移籍。最初のシングルに選んだのがダーリンが書いた「自由の広場」だった。編曲はポール・ハリスが担当し、プロデューサーはゲイリー・クラインが務めた。同年6月、シングルA面として発表。B面はハーディンが書いた「何故生まれてきたの(Question of Birth)」[1]。
同年8月15日、ハーディンはウッドストック・フェスティバルに出演し、本作品を歌った[2]。
同年8月30日付のビルボード・Hot 100の50位を記録した。またカナダで48位を記録[3]。ハーディンにとってはいちばんのヒットとなった。またこの年、日本でもシングルが発売。ジャケットに記された正式な邦題は「自由の広場(歌おう、自由の讃歌を)」であった[4]。
ダーリンはコンサート、テレビ番組などでよく本作品を歌った。1971年にはシングルもリリースした。ケヴィン・スペイシーの監督・脚本・主演・歌による映画『ビヨンド the シー 夢見るように歌えば』(2004年)でも、ダーリンのコンサートのシーンで登場する。
カバー・バージョン
[編集]- ザ・シェファーズ - 1970年のアルバム『Something New』に収録。
- ヴォイシズ・オブ・イースト・ハーレム - 1970年のアルバム『Right On Be Free』に収録。
- ニコラ・ディ・バリ - 1970年のシングル。イタリア語詞。タイトルは「Una ragazzina come te」。
- エディー・スコラー - 1970年のシングル。デンマーク語詞。タイトルは「En enkel sang om frihed」。
- ザ・ベルズ - 1971年のアルバム『Fly, Little White Dove, Fly』に収録。
- ボビー・ダーリン - 1971年のシングル。
脚注
[編集]- ^ a b 45cat - Tim Hardin - Simple Song Of Freedom / Question Of Birth - Columbia - USA - 4-44920
- ^ “Simple Song of Freedom (Live at Woodstock - 8/15/69)”. Tim Hardin (2019年7月15日). 2023年9月18日閲覧。
- ^ “RPM Top 100 Singles - August 30, 1969”. 2023年9月18日閲覧。
- ^ Tim Hardin – Simple Song Of Freedom (1969, Vinyl) - Discogs