脇水鉄五郎
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脇水 鉄五郎(わきみず てつごろう、慶応3年11月9日(1867年12月4日) - 昭和17年(1942年)8月10日)は、明治から昭和前期の地質学者、土壌学者。東京帝国大学名誉教授。
経歴・人物
[編集]美濃大垣(現:岐阜県大垣市)に生まれる[1][2][3]。1893年(明治26年)東京帝国大学地質学科卒業[2][3]。1896年(明治29年)同大学農科大学助教授を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学教授となる[3]。1911年から1915年頃に掛けてヨーロッパおよびアメリカに留学し、オーストリアで森林土壌学、イタリアで砂防学を研究[2][3]。帰国すると地質学や森林土壌学講座を担当した[3]。樺太および北海道にて気候的植生の土壌に対する影響を調査し、表層地質学の新天地を開拓した[3]。東京帝国大学教授退官後は、史跡名勝、天然記念物の調査員として活躍し[4]、『車窓からの自然界 東海道・山陽編』・『日本風景誌』・『耶馬渓彦山風景論』などの著書を残した[1][2][3]。ほか、1907年(明治40年)より日本地質学会評議員、1939年(昭和14年)同会会長をつとめた[2][3]。