能量寺
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能量寺 | |
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所在地 | 北海道石狩市親船町26 |
位置 | 北緯43度14分37.0秒 東経141度20分57.5秒 / 北緯43.243611度 東経141.349306度座標: 北緯43度14分37.0秒 東経141度20分57.5秒 / 北緯43.243611度 東経141.349306度 |
山号 | 常行山 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 真宗大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 1858年(安政5年)12月 |
法人番号 | 4430005004602 |
能量寺(のうりょうじ)は北海道石狩市親船町26にある真宗大谷派の寺院。幕末の石狩に建てられた4寺のひとつ。
歴史
[編集]1867年(慶応3年)2月、玉川啓吉の居宅に「石狩道場」を仮設[1]。
1875年(明治8年)12月、曽我信彦が札幌山鼻本願寺別院より宗祖の画像を持参し、玉川啓吉の貸家に説教所を仮設[1]。
1876年(明治9年)6月、親船町北25番地に「真宗東派説教所」を建立[1]。
1878年(明治11年)11月12日、開拓使函館支庁の許可を得て現在地に移転[1]。
1927年(昭和2年)と1928年(昭和3年)には、東本願寺第23世管長の大谷句仏が北海道布教のため来訪し、能量寺を拠点として活動した[2]。
1945年(昭和20年)7月15日、一帯がアメリカ軍の空爆に見舞われる。このとき多くの人々が能量寺裏手のカシワ林に避難し、夜を明かしたという[3]。
1947年(昭和22年)4月5日、三代目住職の飯尾円什が初代公選石狩町長に就任。3期12年を務める。
1950年(昭和25年)7月20日、大谷句仏が能量寺を発つ際に詠んだ俳句を刻んだ碑が建てられる[2]。
石狩は 鮭の魚飯に 名残あり — 大谷句仏
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『石狩の碑(第2輯) 石碑等にみる石狩町の歩み』石狩町郷土研究会〈いしかり郷土シリーズ〉、1988年3月20日。
- 編:鈴木トミエ『石狩百話 風が鳴る 河は流れる』共同出版社、1996年9月1日。ISBN 4-87739-009-X。