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能量寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
能量寺
能量寺
所在地 北海道石狩市親船町26
位置 北緯43度14分37.0秒 東経141度20分57.5秒 / 北緯43.243611度 東経141.349306度 / 43.243611; 141.349306座標: 北緯43度14分37.0秒 東経141度20分57.5秒 / 北緯43.243611度 東経141.349306度 / 43.243611; 141.349306
山号 常行山
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 1858年(安政5年)12月
法人番号 4430005004602 ウィキデータを編集
能量寺の位置(北海道内)
能量寺
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大谷句仏句碑

能量寺(のうりょうじ)は北海道石狩市親船町26にある真宗大谷派の寺院。幕末の石狩に建てられた4寺のひとつ。

歴史

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1858年安政5年)12月創建[1]

1867年慶応3年)2月、玉川啓吉の居宅に「石狩道場」を仮設[1]

1875年明治8年)12月、曽我信彦が札幌山鼻本願寺別院より宗祖の画像を持参し、玉川啓吉の貸家に説教所を仮設[1]

1876年(明治9年)6月、親船町北25番地に「真宗東派説教所」を建立[1]

1878年(明治11年)11月12日、開拓使函館支庁の許可を得て現在地に移転[1]

1879年(明治12年)、説教所を「能量寺」と改称[1]

1892年(明治25年)、本堂を新築[1]

1927年昭和2年)と1928年(昭和3年)には、東本願寺第23世管長の大谷句仏が北海道布教のため来訪し、能量寺を拠点として活動した[2]

1945年(昭和20年)7月15日、一帯がアメリカ軍の空爆に見舞われる。このとき多くの人々が能量寺裏手のカシワ林に避難し、夜を明かしたという[3]

1947年(昭和22年)4月5日、三代目住職の飯尾円什が初代公選石狩町長に就任。3期12年を務める。

1950年(昭和25年)7月20日、大谷句仏が能量寺を発つ際に詠んだ俳句を刻んだ碑が建てられる[2]

石狩は 鮭の魚飯に 名残あり — 大谷句仏

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 碑 1988, p. 23.
  2. ^ a b 碑 1988, p. 24.
  3. ^ 鈴木 1996, p. 331.

参考文献

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  • 『石狩の碑(第2輯) 石碑等にみる石狩町の歩み』石狩町郷土研究会〈いしかり郷土シリーズ〉、1988年3月20日。 
  • 編:鈴木トミエ『石狩百話 風が鳴る 河は流れる』共同出版社、1996年9月1日。ISBN 4-87739-009-X