能勢一男
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能勢一男(のせ かずお[1]、1905年11月18日 - 没年不明)は、大日本帝国のボート競技選手(ローイング競技選手)。1928年アムステルダムオリンピックに日本代表として出場した。
経歴
[編集]1905年11月18日、現在の東京都豊島区目白に生まれる[2]。旧制栃木県立宇都宮中学校(現在の栃木県立宇都宮高等学校)を卒業後、1923年に明治大学商科に入学した[2]。1924年に端艇部に入部し、四番手として活躍した[2]。その技量を買われ、1928年に主将に就任する。同年に開催されたアムステルダムオリンピックに主将・二番手として出場し、整調手も務めた[2][1]。海や大きな川がない宇都宮出身の人物がボート競技で活躍するのは当時珍しいことであった[3]。また、インターカレッジ大会にも出場している[2]。その後、東漕艇協会役員に就任した[2]。1929年に明治大学を卒業し[4]、三菱商事に入社して紫紺クラブに所属した[2]。1933年時点では東京府王子区(現在の北区)岩淵町に居住していたが[2]、1935年までに福島県若松市(現在の会津若松市)に転居している[4]。1958年の段階では東京都世田谷区で出版業を営み、日本漕艇協会に所属していた[5]。
人物
[編集]音楽を趣味としていた[2]。