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背尾伊洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
背尾 伊洋
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市旭区[1]
生年月日 (1973-08-15) 1973年8月15日(51歳)
身長
体重
181 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト5位
初出場 1996年4月4日
最終出場 1997年4月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

背尾 伊洋(せお よしひろ、1973年8月15日 - )は大阪府大阪市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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大阪桐蔭高時代、3年次の1991年に春の選抜、夏の第73回全国選手権に出場[1]。エースナンバーを着ける和田友貴彦(東洋大-東芝府中)との2本柱で夏は準決勝・星稜高戦で当時2年生の松井秀喜を抑えて完投勝利[2]、決勝戦でも登板し、初出場での初優勝に貢献する。同期に萩原誠澤村通、1学年下に渕脇芳行がいた。

1991年のプロ野球ドラフト会議近鉄バファローズから5位指名を受けて入団[1]

大型投手として期待されていたが二軍でも結果が出ずオーバースローからサイドスローに転向し、プロ5年目の1996年に一軍登板を果たすと初勝利を完封勝利で飾るなど18試合に登板した。 スライダーやシュートが武器で、斎藤雅樹ばりのサイドスローのフォームが話題となる。しかし、翌年以降は故障の連続で一軍登板から遠のく。

1998年シーズン途中、大森剛との1対2の交換トレードで南真一郎とともに読売ジャイアンツへ移籍する[1]。しかし、巨人では故障により一軍登板が無く、2000年シーズン終了後に現役を引退[1]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1996 近鉄 18 7 1 1 0 1 2 0 -- .333 216 49.0 45 5 27 0 3 40 3 0 24 20 3.67 1.47
1997 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 26 6.1 2 0 6 1 0 1 1 0 0 0 0.00 1.26
通算:2年 22 7 1 1 0 1 2 0 -- .333 242 55.1 47 5 33 1 3 41 4 0 24 20 3.25 1.45

記録

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背番号

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  • 45 (1992年 - 1998年途中)
  • 86 (1998年途中 - 1999年)
  • 51 (2000年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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