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聖興女王(しょうこうじょおう、天正18年4月13日[1](1590年5月16日) - 文禄3年12月13日(1595年1月23日))は、安土桃山時代の皇族。
後陽成天皇の第一皇女。母は女御・近衞前子。御称号は姫宮。尼門跡曇華院に喝食として入室するが、未得度のまま薨去した。享年5歳。
法号は瑞雲聖興沙弥[2]。墓所は大徳寺養徳院内曇華院宮墓地。
- ^ 『御湯殿上日記』天正十八年四月十三日条「十三日。女御御けつきて。しゆこう御みまいに御いてあり。夜なかのまへにひめ宮の御かた御たんしやうあり。(後略)」。
- ^ 『比丘尼御所諡号考』曇華院宮条「瑞雲聖興沙弥 後陽成帝皇女文禄三年十二月十三日」(11コマ目、国文学研究資料館 電子資料館 日本古典籍総合目録データベースより)