耶律速撒
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耶律速撒(やりつ そくさつ、生没年不詳)は、遼(契丹)の軍人。字は阿敏。
経歴
[編集]応暦初年、侍従となり、突呂不部節度使に累進した。覇州・済州(義州とも)・祥州・順州・聖州の都総管を歴任し、敦睦宮太師となった。保寧3年(971年)、九部都詳穏に転じた。保寧4年(972年)、党項を討って戦功を立てた。保寧7年(975年)2月、再び党項を討った。乾亨元年(979年)3月、別部の化哥らを降した。乾亨4年(982年)12月、阻卜を討った。
統和元年(983年)、睿智太后が称制すると、太后の信任を受けて西方辺境に駐屯した。阻卜・党項を討ち、敵烈部を降した。統和2年(984年)、阻卜を討ち、その首長の撻剌干を殺した。
速撒は兵士たちと苦楽をともにし、戦利品は将校に等しく分配した。信賞必罰を徹底し、西方での契丹の威信を高めた。辺境にあること20年で死去した。
伝記資料
[編集]- 『遼史』巻94 列伝第24