羽豆神社
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羽豆神社 | |
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所在地 | 愛知県知多郡南知多町大字師崎明神山2 |
位置 | 北緯34度41分39.94秒 東経136度58分32.65秒 / 北緯34.6944278度 東経136.9757361度座標: 北緯34度41分39.94秒 東経136度58分32.65秒 / 北緯34.6944278度 東経136.9757361度 |
主祭神 | 建稲種命 |
社格等 |
式内社 旧郷社 |
創建 |
不詳 白鳳年間(700年頃)とされる。 |
本殿の様式 | 八幡造 |
例祭 | 旧8月14日・8月15日 |
主な神事 | 大名行列山車五台神輿行列 |
地図 |
羽豆神社(はずじんじゃ)は、愛知県知多郡南知多町大字師崎明神山2に鎮座する神社である。
名前の由来
[編集]諸説あるが、日本武尊の東征の際に、「幡頭」(はたがしら)を務めた建稲種命を祭神として、羽豆(幡頭、はず)の社名としたという説がある。
幡頭の語源は、一説には「筈」とあり、地形が弓矢の「筈」に似ているため名付けられたとされる。
また、古代南方系海人の信仰であり、湾の西方の神である「泊頭の神」から由来するとされる。「尾張本国神名帳」における神位は従一位羽豆名神。
祭神
[編集]歴史
[編集]年表
[編集]- 1312年~1313年(元亨年中)- 熱田大宮司摂津守親昌が羽豆岬に羽豆崎城を築く。
- 1355年(文和4年)- 親昌の猶子である昌能により修復寄進される。
- 1370年(応安3年)- 宗良親王より御奉幣。
- 1389年(康応元年)- 城主蜂屋光経が造営。
- 1434年(永享6年)- 加賀守盛貞が造営。
- 1500年(明応9年)- 田原城主戸田憲光が天神山に天神山城造営
- 1590年(天正18年)- 豊臣秀吉の検地で所領没収
- 1601年(慶長6年)- 領主千賀重親が造営
- 江戸時代は「幡頭崎八幡宮」と称していた。
- 1641年(寛永18年)- 社殿火災焼失
- 1760年(宝暦10年)- 再造営
- 1872年(明治5年)9月 - 郷社に指定される。
由緒
[編集]- 一、熱田大宮司攝津守親昌その猶子昌能が羽豆崎に城を築き神社修復(一三二二~一三五五)
- 一、宗良親王御奉幣(一三七〇)
- 一、尾張徳川家累代御参詣東照神君義直公頼宣公光友公義誠公吉通公
- 一、明治五年郷社に列する
- 一、延喜式内名神
境内
[編集]知多半島の最南端である羽豆岬に鎮座している。表参道は、国道247号線から師崎港フェリーターミナルに向かう途中にあるが、車を止める場所は無い。浜辺近くに知多湾へ向かって建つ大鳥居のある東参道がある。
本殿は大きな鞘堂に納められ、境内左右には沢山の境内社が祀られている。
「羽豆神社の社叢」は国の天然記念物に指定されている[1]。三河湾国定公園の特別保護地区となっている。
アイドルグループSKE48が「羽豆岬」という曲を歌いMVもこの地で撮影しているためファンも訪れる。
境内社
[編集]文化財
[編集]県指定文化財
[編集]現地情報
[編集]所在地
[編集]周辺
[編集]- 師崎港
- 南知多町立みさき小学校
- 宗真寺 - 羽豆崎城の城主千賀氏の菩提寺。
- 羽豆岬玉姫様社 - 玉姫は建稲種命の妃である。師崎は建稲種命と妻の玉姫が住んでいたとされ、建稲種命は毎日の様に風光明媚な羽豆岬を散歩していたとされる。やがて東征へ副将軍として出陣の時、妻の玉姫は夫の帰りをずっと待ち続けていたとされる浦の為、「待合浦」と呼ばれる様になった。