美濃部茂孝
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美濃部 茂孝(みのべ しげたか、貞享4年(1687年) - 宝暦8年11月29日(1758年12月29日))は、江戸幕府旗本。通称は八兵衛、八郎右衛門。美濃部茂一の子。母は大久保長昌の養女(大久保長好の娘[1])。室は堀長郷の娘。子女に美濃部茂英、山村良則室、浅井元武室。
元禄9年(1696年)7月9日、父の遺跡を継ぐ。宝永2年(1705年)3月29日に書院番士、享保15年(1730年)12月15日に書院番組頭となった後、元文元年(1736年)11月28日、佐渡奉行(500石御役料1500俵百人扶持)となる。寛保元年(1741年)2月15日に持筒頭に移り、宝暦2年(1752年)1月11日に西の丸の槍奉行となった。宝暦8年(1758年)11月29日、72歳で死去[2]。
脚注
[編集]- ^ 『寛政重修諸家譜 第4輯(巻第七百十四)』、p.844
- ^ 『寛政重修諸家譜 第6輯(巻第千百二十九)』、p.880