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美作女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

美作女王(みまさかじょおう/みまさかのおおきみ、生年不明 - 延暦8年7月7日789年8月2日))は、奈良時代後期の皇族女官官位は尚掃・従四位上

生涯

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系譜は未詳だが、宝亀7年(776年)、无位から従四位下に昇叙しているところから[1]、親王の娘であることが分かる[2]延暦5年(786年)には従四位上に昇るが[3]、同8年(789年)7月、尚掃で藤原春蓮と同日に没[4]

翌延暦9年(790年)、河内国志紀郡にあった1町の位田は、大納言職田に改置された[5]

官歴

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続日本紀』による

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』巻第三十四、光仁天皇 宝亀7年正月7日条
  2. ^ 『養老令』「選叙令」35条「蔭皇親条」
  3. ^ 『続日本紀』巻第三十八、桓武天皇 今皇帝 延暦5年正月14日条
  4. ^ 『続日本紀』巻第四十、桓武天皇 今皇帝 延暦8年7月7日条
  5. ^ 『類聚三代格』巻15「職田位田公廨田事」1、延暦九年八月八日太政官符

参考文献

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