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羊玄之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

羊 玄之(よう げんし、? - 太安2年9月22日[1]303年10月19日))は、中国西晋外戚恵帝皇后羊献容の父。本貫泰山郡南城県

経歴

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羊瑾(羊琇の兄)の子として生まれた。はじめ尚書郎となった。永康元年(300年)、娘が皇后に立てられたため、玄之は光禄大夫・特進・散騎常侍の位を受け、興晋侯に封じられた。後に尚書右僕射に転じ、侍中の任を加えられ、爵位を公に進めた。

太安2年(303年)8月、河間王司馬顒と成都王司馬穎が長沙王司馬乂を攻撃したとき、司馬顒らは玄之と皇甫商を討つことを挙兵の名目とした。9月、玄之は憂懼の末に死去した。車騎将軍・開府儀同三司の位を追贈された。

脚注

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  1. ^ 『晋書』巻4, 恵帝紀 太安二年九月癸巳条による。

伝記資料

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