織田信応
表示
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 宝暦8年(1758年) |
死没 | 享和元年5月10日(1801年6月20日) |
改名 | 長煕(初名)、信応 |
別名 | 重次郎、織部(通称) |
墓所 | 東京都練馬区広徳寺 |
藩 | 丹波柏原藩世嗣 |
氏族 | 織田氏(信雄系高長流) |
父母 |
織田信旧 織田信憑 |
兄弟 | 元丸、勇千代、信応、長貴ら4男 |
妻 |
岩城隆恭七女・信 前田利與長女・恒子 |
子 | 信古 |
織田 信応(おだ のぶまさ)は、江戸時代中期から後期にかけての丹波国柏原藩の世嗣。通称は重次郎、織部。
生涯
[編集]宝暦8年(1758年)、柏原藩3代藩主・織田信旧の三男として柏原にて誕生。初名は長煕。同年、子供に恵まれなかった父・信旧は、分家から信憑を養嗣子に迎えていた。
寛政元年(1789年)12月8日、4代藩主・信憑の養子となる。寛政2年(1790年)2月15日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。しかし養父に先立ち、享和元年(1801年)5月10日に死去した。享年44。代わって、信憑の長男・信守が嫡子となった。墓所は広徳寺。