練馬区立石神井東中学校
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練馬区立石神井東中学校 | |
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北緯35度44分32秒 東経139度37分00秒 / 北緯35.74232度 東経139.61655度座標: 北緯35度44分32秒 東経139度37分00秒 / 北緯35.74232度 東経139.61655度 | |
過去の名称 | 板橋区立石神井東中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 練馬区 |
設立年月日 | 1947年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C113212000161 |
所在地 | 〒177-0033 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
練馬区立石神井東中学校(ねりまくりつ しゃくじいひがしちゅうがっこう)は、東京都練馬区にある区立中学校。2019年(令和元年)5月時点の生徒数は14学級516名[1]。
沿革
[編集]学校教育法の施行にともなって練馬区[注釈 1]で開設された中学校13校の1つ[2]。
- 1947年(昭和22年)
- 5月1日 - 板橋区立石神井東中学校として、板橋区立石神井東小学校(現・順天堂大学医学部附属練馬病院)内に開設。
- 7月1日 - 校章制定
- 8月1日 - 分区により練馬区が独立。練馬区立石神井東中学校となる。
- 1948年(昭和23年)
- 10月5日 - 校舎移転(元・富士見台病院、現・石神井東小学校)
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 校章改定[3]。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 石神井東小学校と校地交換[3]。
- 1957年(昭和32年)11月1日 - 校旗制定[3]。
- 1958年(昭和33年)3月1日 - 校歌(作詞・草野心平、作曲・渡辺浦人)制定。
- 1961年(昭和36年)
- 1969年(昭和44年)7月10日 - プール完工[3]。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 八坂中学校開設により学区分割[3]。
- 1975年(昭和50年)3月29日 - 隣接の石神井球場を第2運動場とする[3]。
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 谷原中学校開設により学区分割[3]。
- 1978年(昭和53年)9月1日 - 第2運動場に校舎を新築し移転(現在地)。
- 2017年(平成29年)12月4日 - 新体育館・プールの落成。
通学区域
[編集]北は目白通り、東は四商通り、南は西武池袋線と石神井川を境界とし、石神井公園駅をほぼ西端としている。
- 富士見台三丁目
- 富士見台四丁目
- 高野台一丁目
- 高野台二丁目
- 高野台三丁目
- 高野台四丁目
- 高野台五丁目
- 石神井町一丁目
- 石神井町二丁目(1-14)
- 石神井町三丁目(3-9、18-25)
- 石神井町四丁目(1-2)
進学前小学校
[編集]区立中学校選択制度があり区内の遠方から通学している生徒もいるが[4]、学区指定による小学校は以下の通り。※印は小中一貫教育グループの構成校[5]。
学区内の主な施設
[編集]- 練馬高野台駅
- 練馬区立生涯学習センター分館
- 順天堂大学医学部附属練馬病院
- 石神井公園駅
交通
[編集]著名な出身者
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “中学校(学校別)” (xlsx). 令和元年度 東京都公立学校一覧. 東京都教育委員会 (2020年10月24日). 2020年4月19日閲覧。
- ^ 練馬区史編さん協議会 編「中学校の新設」『練馬区史 現勢編』1981年、969-972頁。
- ^ a b c d e f g h i 練馬区史編さん協議会 編『練馬区史 現勢資料編』1980年、408-410頁。
- ^ “第3次練馬区立中学校選択制度検証委員会資料集” (pdf). 練馬区 (2019年12月11日). 2020年4月19日閲覧。
- ^ “練馬区教育要覧 令和元年版” (pdf). 練馬区. 2020年4月26日閲覧。
- ^ 『さんま&くりぃむの芸能界(秘)個人情報グランプリ』フジテレビ、2012年11月10日放映。
注釈
[編集]- ^ 開設当初は板橋区であったが、すでに練馬区の独立設置へ向けて準備中であった。