緒方道平
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生年月日 | 1846(弘化3年)5月10日 |
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出生地 | 備中国下道郡矢田村 |
緒方 道平(おがた みちひら、1846(弘化3年)5月10日 - ?)は、明治時代の日本の山林官僚。
オーストリアで山林学を修めた。
経歴
[編集]備中国(現岡山県)の下道郡矢田村において郷士であった父妹尾康信の三男として生まれた。
1866年(慶応2年)、摂津国名塩村の蘭医伊藤慎蔵に師事し、次いで伊藤の師である大阪の緒方洪庵について蘭学を学んだ。ここで蘭学者緒方研堂から子弟を託されたため緒方姓を名乗るようになった。 1872年(明治5年)、緒方は上京し、ドイツ語通訳としてウィーン万国博覧会で日本館を出展する田中芳男、津田仙、佐野常民らに随行した。このときの渡航には、陶芸家のゴットフリード・ワグネルや、医師のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの長男アレキサンダー、二男ハインリッヒも参加している[1]。次いで佐野の命によってマリヤブルン農業森林高等学校で植樹法、伐採法、森林法および木材学を学習したたうえ各地を視察し、1874年11月に帰国した。
1875年(明治8年)からは、松野礀とともにドイツ・オーストラリアの山林学を極めたものとして、地理寮山林課に務めた。
1880年(明治13年)には、太政官(政表)、統計院に務める。明治18年まで統計第六仮課長[2]。
1887年(明治20年)5月、山形県に書記官として赴任した[3]。1897(明治30年)5月、依頼免官[4]。
脚注
[編集]- 出典
- ^ 長池敏弘 1975.
- ^ 奥積雅彦「統計の黎明期を支えた太政官(政表部門)・統計院の職員」。総務省統計局。
- ^ 官吏進退・明治二十年官吏進退二十九・府県(一)「林務官緒方道平山形県転任ノ件」。
- ^ 任免裁可書・明治三十年・任免巻十二「認可裁可書」。
参考文献
[編集]- 長池敏弘「松野礀と緒方道平 - 明治林政創成期における二人の役割」『林業経済』、林業経済研究所、doi:10.19013。
- 緒方道平 - Google ブックス