網走市立中央小学校
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網走市立中央小学校 | |
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北緯44度01分50.56秒 東経144度15分10.59秒 / 北緯44.0307111度 東経144.2529417度座標: 北緯44度01分50.56秒 東経144度15分10.59秒 / 北緯44.0307111度 東経144.2529417度 | |
過去の名称 |
網走簡易小学校 網走尋常高等小学校 網走尋常小学校・網走尋常高等小学校 網走女子国民学校 網走市立網走小学校 網走市立網走中央小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 網走市 |
設立年月日 | 1884年9月25日 |
開校記念日 | 9月25日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B101221100023 |
所在地 | 〒093-0084 |
北海道網走市向陽ヶ丘4丁目67番地1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
網走市立中央小学校(あばしりしりつ ちゅうおうしょうがっこう)は、北海道網走市向陽ヶ丘4丁目にある公立小学校。
沿革
[編集]- 出典[1]
- 1884年(明治17年)
- 1885年(明治18年)5月 - 境田妙橘氏の寄付により、校舎新築。
- 1890年(明治23年)9月 - 建部栄作氏の寄付により、校舎新築。
- 1892年(明治25年)12月12日 - 校舎増築。
- 1894年(明治27年)9月 - 網走町大字北見町南通7丁目25番地(現:市民会館付近)に校舎(新築校舎170.75坪)新築し、移転。
- 1895年(明治28年)4月1日 - 高等科(修業年限3ヶ年)を併置し、「網走尋常高等小学校」と改称。
- 1897年(明治30年)1月11日 - 大曲分教場を設置。
- 1899年(明治32年)
- 1900年(明治33年)
- 1901年(明治34年)4月1日 - 大曲分教場が本校より独立し、旧大曲尋常小学校として開校(昭和18年3月31日廃校)。
- 1903年(明治36年)7月1日 - 雨天体操場(50坪)新築。
- 1908年(明治41年)
- 1月 - 校舎(2教室・廊下)増築(10学級)。
- 4月1日 - 尋常科修業年限を6ヶ年に延長し、高等科修業年限を2ヶ年に短縮。
- 1909年(明治42年)
- 1910年(明治43年)
- 1912年(明治45年)7月15日 - 2教室(40坪)と廊下を増築。
- 1913年(大正2年)7月10日 - 礼文尻簡易教育所廃校。
- 1914年(大正3年)5月 - 児童玄関を増築。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 教室不足となり、桂ヶ丘・私立北見女子校の2教室を借り、尋6女・高1、2女を分離。
- 1916年(大正5年)
- 1917年(大正6年)4月1日 - 市立北見女子校の2教室を更に借用(19学級)。同日、帯於将府特別教授場が、本校より独立し、旧潮見小学校開校(昭和51年3月28日廃校)。
- 1918年(大正7年)9月11日 - 同一通学区域内に1校を新設し、男子のみ収容の件を認可。
- 1919年(大正8年)
- 1922年(大正11年)9月1日 - 第1藻琴特別教授場が、本校より独立し、旧稲富小学校開校。
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)9月25日 - 創立40周年記念式典を挙行。
- 1926年(大正15年)
- 1927年(昭和2年)
- 1932年(昭和7年)
- 1934年(昭和9年)9月25日 - 創立50周年記念式典挙行。
- 1934年(昭和11年)8月 - 校舎135.5坪増築。
- 1938年(昭和13年)4月7日 - 公立青年学校網走実科女学校を本校に併設。
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)4月11日 - 男子校全焼により本校の7裁室を貸与。そのため、実科女学校生徒を高等女学校に移転。
- 1943年(昭和18年)
- 4月1日 - 大曲国民学校が廃校となり、女子41名本校に転入。
- 同年内 - 戦局悪化により、避難訓練開始。裁縫室に陸軍通信隊が駐屯。
- 1944年(昭和19年)- 高学年児童が、勤労奉仕に動員。校舎の一部は、千島派遣部隊の一時宿泊所となり、屋内運動場は、軍隊の食糧被服の倉庫となる。
- 1945年(昭和20年)8月15日 - 太平洋戦争終戦。
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 教室が不足し、2学年と3学年で、二部授業実施(27学級)。
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年)4月 - 完全給食実施(30学級)。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 児童の増加に伴い、西小学校を新設し、本校(大曲・三眺・白樺町・新町・緑町)から、児童約300名転校(25学級)。
- 1954年(昭和29年)9月25日 - 創立70周年記念式典挙行。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 児童増加に伴い、川向の一部を西小学校に区域変更し、児童約170名転校。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 通学区域の一部変更実施、南6条以南の児童は網小へ、川向の一部の西小児童は本校へ転籍。
- 1965年(昭和40年)9月25日 - 1年遅れで、80周年記念式典挙行。
- 1967年(昭和42年)4月24日 - 特殊学級(こばと学級)開設。
- 1970年(昭和45年)7月17日 - 簡易プールが完成し、プール開き挙行。
- 1974年(昭和49年)9月25日 - 創立90周年記念式典挙行。
- 1975年(昭和50年)
- 4月1日 - 言語治療学級「ことばの教室」開設。
- 10月1日 - 体育文化後援会の設立総会開催。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 第二中学校言語治療学級を併設。
- 1980年(昭和55年)10月1日 - 幼児ことばの相談室を併設。
- 1981年(昭和56年)8月 - 灯油温水ボイラー及びガスボイル等給食設備の改善。
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 1991年(平成3年)3月23日 - 1学年から5学年児童全員の机と椅子を取替え。
- 1992年(平成4年)4月16日 - 焼却炉新設。
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
- 1995年(平成5年)
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)5月27日 - 木村組よりボールプールが寄贈される。
- 1998年(平成10年)11月25日 - 網走市立中央小学校改築検討委員会発足。
- 1999年(平成11年)
- 4月1日 - ことばの教室が、特殊学級から通級指導学級に移行。
- 5月13日 - 学校改築に係る要望書提出。
- 2000年(平成12年)6月 - 新校舎着工。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 2004年(平成16年)
- 5月 - グラウンド防砂ネット取り付け。
- 9月25日 - 創立120周年記念式典挙行。
- 2005年(平成17年)11月20日 - 網走運転者部会寄贈により、交通安全標語看板設置。
- 2006年(平成18年)
- 2010年(平成22年)
- 3月 - 太陽光発電設備設置。
- 時期不明 - グラウンド芝生化完了。
- 2012年(平成24年)
- 2014年(平成26年)9月25日 - 創立130周年記念式典挙行。
- 2020年(令和2年)4月1日 - 網走中央・西地区学校運営協議会設置。
- 2022年(令和4年)4月1日 - 電子黒板を全教室に導入。
学区
[編集]- 出典[2]
- 北1条東(1丁目・2丁目)
- 北1条西(1丁目~4丁目)
- 北2条東(1丁目・2丁目)
- 北2条西(1丁目~4丁目)
- 北3条東(1丁目~2丁目)
- 北3条西(1丁目~4丁目)
- 北4条東(1丁目・2丁目)
- 北4条西(1丁目~4丁目)
- 北5条東(1丁目・2丁目)
- 北5条西(1丁目~4丁目)
- 北6条東(1丁目・2丁目)
- 北6条西(1丁目~西4丁目)
- 北6条西(5丁目から西6丁目までの一部)
- 北7条東(1丁目・2丁目)
- 北7条西(1丁目~6丁目)
- 北8条東(1丁目)
- 北8条西(1丁目~6丁目)
- 北9条東(1丁目)
- 北9条西(1丁目~6丁目)
- 北10条東(1丁目)
- 北10条西(1丁目~6丁目)
- 北11条東(1丁目)
- 北11条西(1丁目~5丁目)
- 北12条東(1丁目)
- 北12条西(1丁目~3丁目)
- 海岸町
- 二ツ岩
- 美岬
- 明治
- 向陽ケ丘
周辺
[編集]- 網走市向陽ヶ丘住民センター
- 向陽ヶ丘第2公園
- 北海道網走桂陽高等学校
アクセス
[編集]- 網走バス「7A」・「7B」・「11」・「13」・「21」・「46」・「47」・「48」・「58A」・「61A」・「66」・「67A」・「67B」・「71」・「72A」・「72」・「73A」・「73」・「74」・「76B」・「76」・「85A」の各系統で、「中央小学校前」バス停下車。
脚注
[編集]- ^ 学校の沿革 - 網走市立中央小学校ホームページ内
- ^ 通学区域一覧(小学校) - 網走市