網代岩二郎
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網代 岩二郎(あじろ いわじろう、1852年8月27日(嘉永5年7月13日)[1] - 1914年(大正3年)9月11日[2])は、日本の政治家、弁護士[3][4]、公証人(鳥取地方裁判所所属)[2][5]。
人物
[編集]1882年、代言人免許を得る[6]。町村制実施以来選ばれて米子町会議員、学務委員、名誉職助役等米子町公職をつとめた[1]。
1922年、米子町功労者旌表規定により町会の決議を経て功労章及び銀盃一箇を贈られ、その功労を表彰される[1]。住所は鳥取県西伯郡米子町大字法勝寺町[3](現・米子市法勝寺町)、同町大字西町[5](現・米子市西町)。
脚注
[編集]- ^ a b c 『米子自治史』925、937頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月2日閲覧。
- ^ a b 『官報 1914年09月18日』官報 第641号 439頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月2日閲覧。
- ^ a b 『米子みやげ』67頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月2日閲覧。
- ^ 『改正日本弁護士名簿』140頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月22日閲覧。
- ^ a b 『民刑局公証人法先例類纂』353頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月2日閲覧。
- ^ 『日本帝国代言人姓名録 附・法律学士姓名録』82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月17日閲覧。