綱島亀吉
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綱島 亀吉(つなじま かめきち、生没年不詳)は明治時代の東京の地本問屋。2代目まで続いた。
来歴
[編集]辻岡屋、辻亀、島鮮堂と号す。一時期、小柴氏を称したか。慶応の頃、横山町3丁目久兵衛店で、後に御蔵前、明治期に浅草須賀町、浅草瓦町12番地で地本問屋を営業しており、明治元年(1868年)4月に島鮮堂を創業する。慶応2年(1866年)3月に地本草紙問屋に加入し、明治5年(1872年)から明治11年(1878年)には浅草瓦町12番地で、明治20年(1887年)には馬喰町2丁目14、翌明治21年(1888年)には馬喰町2丁目11で営業していた。主に月岡芳年、守川周重、楊洲周延、3代目歌川広重、中澤年章、楊斎延一らの錦絵などを出版している。明治30年(1897年)4月に家督を2代目(明治4年4月3日生まれ[1])にゆずる。明治34年(1901年)から明治37年(1904年)まで東京地本彫画営業組合の組合長を務めている。
作品
[編集]- 月岡芳年 『太平記美濃霧中大合戦』 大判3枚続 錦絵 慶応2年
- 月岡芳年 『太平記姉ケ原大合戦志村政蔵勇戦之図』 大判3枚続 錦絵 明治元年(1868年)
- 月岡芳年『新撰東錦絵』 大判 錦絵揃物
- 守川周重 『東京築地ホテル館上総海上遠景図』 大判3枚続 錦絵 明治3年(1870年)
- 楊洲周延『枢密院会議之図』
- 3代目歌川広重 『横浜波止場ヨリ海岸通異人館真図』 大判3枚続 錦絵 明治6年(1873年)ころ
- 3代目歌川広重『東海道五十三次』 大判 錦絵揃物
- 『流行英語尽し』 明治10年(1877年)
- 月岡芳年 『風俗三十二相』 大判33枚揃(内、目録1枚) 錦絵 明治21年(1888年)
- 中澤年章 『我第二軍 摩天嶺の砲基占領之図』 大判3枚続 明治28年(1895年、馬喰町2丁目14)
- 中澤年章 『我第二軍 威海衛砲基占領之図』 大判3枚続 明治28年(馬喰町2丁目14)
- 中澤年章 『牛荘市街大激戦我軍大破清兵』 大判3枚続 明治28年
- 中澤年章 『講和談判之図』 大判3枚続 明治28年
- 中澤年章 『三曲合奏之図』 大判3枚続 明治28年
- 中澤年章 『美人画 始玄春召色不信再号情』 大判3枚続 明治28年
- 中澤年章 『日本歴史教訓画 大石良雄』 大判3枚続 明治31年(1898年)
- 楊斎延一 『東京名所上野公園之景』 大判3枚続 錦絵 明治32年(1899年)
脚注
[編集]- ^ 『東京書籍商組合史及組合員概歴』104頁。
参考文献
[編集]- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』第3巻 大修館書店、1982年 ※140頁
- 山梨県立美術館 『山梨県立美術館研究紀要』第4号 山梨県立美術館、1983年
- 吉田漱 『浮世絵の基礎知識』 雄山閣、1987年 ※155頁
- 永田生慈 『資料による近代浮世絵事情』 三彩社、1992年