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結城秀延

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
結城秀延
時代 江戸時代後期
生誕 寛延3年9月4日1750年10月3日
死没 享和3年11月9日1803年12月22日
官位 正五位下、内舎人、中務少録、縫殿大允、筑後守、蔵人所衆
主君 桃園天皇後桜町天皇後桃園天皇光格天皇
氏族 藤原氏結城氏
父母 父:藤原秀備、母:藤原秀尚
秀繁秀雅
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結城 秀延(ゆうき ひでのぶ)は、江戸時代地下官人

概要

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明和4年(1767年)10月14日に橘忠信の補欠として内舎人に補された。同月27日には正六位下・中務少録に叙任された。翌年6月13日には縫殿大允に遷り、同9年(1772年)1月13日には筑後守となった。安永4年(1776年)12月19日に正六位上に叙され、天明7年(1787年)1月13日に蔵人所衆に任じられ、同年2月15日には従五位下に叙された。寛政7年(1795年)1月20日には従五位上に、享和3年(1803年)1月21日には正五位下に叙され、11月9日に死去した[1]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 三上景文『地下家伝 第8-13 (日本古典全集 ; 第6期)[1]』(日本古典全集刊行会、1937年)