経行
仏教用語 経行 | |
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パーリ語 | caṅkamati |
サンスクリット語 |
चङ्क्रमति (IAST: Cankrama, Caṅkramā) |
中国語 |
經行 (拼音: jīngxíng) |
日本語 |
経行 (ローマ字: kinhin , kyōgyō) |
英語 | Walking meditation |
ベトナム語 | kinh hành |
経行(きんひん、きょうぎょう、Skt:Cankramana、英:Walking Meditation)は、原義では、そぞろ歩きをすること、またはその場所[1]。具体的には、坐禅の間に調整的に行われる立禅や歩行禅[2]などを指す。
禅定における経行
[編集]長時間の禅定によって生じる、しびれや激痛、睡魔などを緩和するために行われる足ならしをいう[1]。経行の概念は『テーラガーター』などにも記され、中国や日本に伝えられた[1]。
義浄によれば、経行には、病を取り除き、消化を助ける、健康促進の目的もあったとされる[3]。
ただ、経行法は諸清規では確認できないと、江戸時代の僧である面山は指摘した[4]。一方で『黄檗山内清規』には「香了二魚、経行」とあり、香の後に魚鼓二声の合図で経行を行うとし、この黄檗宗で行われていた集団指導の方法が広まった[4]。これに対して面山は『洞上僧堂清規考訂別録』で「明朝ノ禅林ノ弊風」として一斉に行う経行や抽解(坐禅の間の休憩時間)を批判した[4]。『明治校訂洞上行持軌範』でも「坐久フシテ経行セント欲スル者ハ(後略)」となっており、経行は各人の自由に任されていた[4]。鐘(経行鐘)を合図に一斉に坐禅を止めて経行を行う形式は、その頃から後に僧堂や坐禅会で一般化したとされる[4]。
経行は住持の指揮で鐘を合図に一斉に僧堂の左右の両廊に設けた経行場、これがない場合は僧堂の路地で行うのが一般的な方法となっている[4]。
坐る瞑想としての経行
[編集]歩行瞑想としての経行とは別に、午後の坐る瞑想としての、「飲食経行」(diva-vihāra)の用法も仏典中に見受けられる[5]。
高麗王朝での経行
[編集]安田純也によると、高麗での経行は、朝廷主催の僧俗合同による、鎮護国家の仏教行進行事へと変化し、1046年より毎年3月に王都で開催されていた[6]。
関連文献
[編集]- 道元 『寶慶記』
- 面山瑞方 『経行軌』
- 面山瑞方 『経行軌聞解』
- ティク・ナット・ハン 『ウォーキング・メディテーション - 歩く瞑想の本』(仙田典子訳、渓声社、1995年)
- 曹洞宗 『坐禅のすすめ』(曹洞宗宗務庁教化部、2011年)
脚注
[編集]- ^ a b c 阿部慈園「頭陀支と禅定」『駒澤大学佛教学部論集』第18巻、駒澤大学仏教学部、1987年10月。
- ^ 恩田彰「禅と念仏の心理学的比較考察」『印度学仏教学研究』第23巻第1号、日本印度学仏教学会、1974年、1-7頁。
- ^ 水野榕己「仏教と医学(2)「経行」仏教従事者が担う医学医療」(『曹洞宗総合研究センター学術大会紀要』12、2011年)より
- ^ a b c d e f 尾﨑正善「坐禅堂作法の変遷」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』第11号、鶴見大学仏教文化研究所、2006年4月8日、612-619頁。
- ^ 畝部俊英著「『阿弥陀経』における「経行」について」(『真宗研究』47、真宗連合学会、2003年)
- ^ 安田純也「高麗経行考」(『朝鮮学報』255、朝鮮学会、2010年)より
参考文献
[編集]- 関根正雄「瑞方面山の『経行軌聞解』について」(『日本医史学雑誌』16-4、日本医史学会、1970年)
- 笹川浩仙「経行について」(『宗学研究』29、1987年)
- 畝部俊英「『阿弥陀経』における「経行」について」(『真宗研究』47、真宗連合学会、2003年)
- 安田純也「高麗経行考」(『朝鮮学報』255、朝鮮学会、2010年)
- 水野榕己「仏教と医学(2)「経行」仏教従事者が担う医学医療」(『曹洞宗総合研究センター学術大会紀要』12、2011年)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 曹洞宗>坐禅の作法>14.経行の仕方 - 曹洞禅ネット