コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

組合立岐阜県大垣東高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
組合立岐阜県大垣東高等学校
過去の名称 稲葉南部青年学校
稲葉実業実科女学校
岐阜県立大垣実業高等学校稲葉分校
岐阜県立大垣南高等学校稲葉分校
岐阜県立大垣南高等学校墨俣分校
組合立岐阜県墨俣高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大垣市安八町墨俣町穂積町巣南村日置江村学校組合
設立年月日 1947年
閉校年月日 1963年
共学・別学 男女別学(女子校)
課程 定時制
設置学科 家庭科
所在地 503-0103
岐阜県大垣市墨俣町上宿465-1[注釈 1]
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

組合立岐阜県大垣東高等学校(くみあいりつぎふけんおおがきひがしこうとうがっこう)は、かつて岐阜県安八郡墨俣町(現・大垣市)にあった公立定時制高等学校

概要

[編集]

安八郡安八町墨俣町本巣郡穂積町巣南村稲葉郡日置江村の学校組合で運営されていた。

1963年、岐阜県立大垣女子高等学校の新設により廃校。生徒は大垣女子高等学校定時制課程家庭科に移った。尚、大垣桜高等学校の開校は大垣実業高等学校稲葉分校(後の組合立岐阜県大垣東高等学校)の開校年となっている。

沿革

[編集]

前身となったのは、1944年に日置江村に設置された、稲葉南部青年学校である。

  • 1944年(昭和19年) - 稲葉郡南部の六ヵ村(日置江村・鏡島村市橋村茜部村鶉村佐波村)の青年学校を統合。日置江村に稲葉南部青年学校が開校。光衆寺[注釈 2]を校舎とする。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 稲葉実業実科女学校に改称する。校舎は岐阜県稲葉郡日置江大字日置江大岬1391の日置江公会堂[注釈 3]を使用する。稲葉郡南部の六ヵ村の組合の運営であったが、実質は日置江村が運営していた。
  • 1948年(昭和23年)
    • 7月 - 岐阜県より廃校勧告が出される。日置江村単独での運営が困難であったこともあり、大垣市の高等学校の分校とすることが検討される。
    • 9月15日 - 岐阜県立大垣実業高等学校稲葉分校に改称する。定時制課程の農業科・家庭科を設置。
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 岐阜県立大垣南高等学校稲葉分校に改称する。
  • 1951年(昭和26年)
    • 4月1日 - 岐阜県立大垣南高等学校墨俣分校に改称する。
    • 9月8日 - 岐阜県安八郡墨俣町墨俣1275の旧・高安織物工業寄宿舎を校舎とする。
  • 1953年(昭和28年)
    • 3月 - 農業科を廃止する。
    • 4月1日 - 稲葉郡南部の六ヵ村組合が解散。新たに墨俣町、穂積町、日置江村などで学校組合を設立。
  • 1955年(昭和30年) - 南濃町立石津小学校の校舎を移築。
  • 1957年(昭和32年) - 単独校として独立する運動が起きる。
  • 1958年(昭和33年)
    • 4月 - 岐阜県立大垣南高等学校から分立し、岐阜県安八郡墨俣町他、一市四ヶ町村[注釈 4]組合立岐阜県立墨俣高等学校となる。
    • 10月 - 組合立岐阜県大垣東高等学校に改称する。
    • 11月4日 - 岐阜県安八郡墨俣町上宿蛭喰[注釈 5]に校舎を新築し、移転。
  • 1963年(昭和38年)

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 廃校時の住所は安八郡墨俣町上宿465-1。
  2. ^ 現在の岐阜県岐阜市次木764にある寺院。
  3. ^ 現在の岐阜県岐阜市日置江1391。跡地はJA岐阜日置江になっている。
  4. ^ 大垣市安八村墨俣町穂積町巣南村日置江村
  5. ^ 現在の岐阜県立大垣桜高等学校の場所。

出典

[編集]


参考文献

[編集]
  • 『日置江の歴史』岐阜市日置江自治会連合会、2006年、560–568頁。
  • 『岐阜県定通教育三十周年記念誌』岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会、1978年、110頁。

関連項目

[編集]