組合立岐阜県大垣東高等学校
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組合立岐阜県大垣東高等学校 | |
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過去の名称 |
稲葉南部青年学校 稲葉実業実科女学校 岐阜県立大垣実業高等学校稲葉分校 岐阜県立大垣南高等学校稲葉分校 岐阜県立大垣南高等学校墨俣分校 組合立岐阜県墨俣高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大垣市・安八町・墨俣町・穂積町・巣南村・日置江村学校組合 |
設立年月日 | 1947年 |
閉校年月日 | 1963年 |
共学・別学 | 男女別学(女子校) |
課程 | 定時制 |
設置学科 | 家庭科 |
所在地 | 〒503-0103 |
岐阜県大垣市墨俣町上宿465-1[注釈 1] | |
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組合立岐阜県大垣東高等学校(くみあいりつぎふけんおおがきひがしこうとうがっこう)は、かつて岐阜県安八郡墨俣町(現・大垣市)にあった公立の定時制高等学校。
概要
[編集]安八郡安八町・墨俣町、本巣郡穂積町・巣南村、稲葉郡日置江村の学校組合で運営されていた。
1963年、岐阜県立大垣女子高等学校の新設により廃校。生徒は大垣女子高等学校定時制課程家庭科に移った。尚、大垣桜高等学校の開校は大垣実業高等学校稲葉分校(後の組合立岐阜県大垣東高等学校)の開校年となっている。
沿革
[編集]前身となったのは、1944年に日置江村に設置された、稲葉南部青年学校である。
- 1944年(昭和19年) - 稲葉郡南部の六ヵ村(日置江村・鏡島村・市橋村・茜部村・鶉村・佐波村)の青年学校を統合。日置江村に稲葉南部青年学校が開校。光衆寺[注釈 2]を校舎とする。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 稲葉実業実科女学校に改称する。校舎は岐阜県稲葉郡日置江大字日置江大岬1391の日置江公会堂[注釈 3]を使用する。稲葉郡南部の六ヵ村の組合の運営であったが、実質は日置江村が運営していた。
- 1948年(昭和23年)
- 7月 - 岐阜県より廃校勧告が出される。日置江村単独での運営が困難であったこともあり、大垣市の高等学校の分校とすることが検討される。
- 9月15日 - 岐阜県立大垣実業高等学校稲葉分校に改称する。定時制課程の農業科・家庭科を設置。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 岐阜県立大垣南高等学校稲葉分校に改称する。
- 1951年(昭和26年)
- 4月1日 - 岐阜県立大垣南高等学校墨俣分校に改称する。
- 9月8日 - 岐阜県安八郡墨俣町墨俣1275の旧・高安織物工業寄宿舎を校舎とする。
- 1953年(昭和28年)
- 3月 - 農業科を廃止する。
- 4月1日 - 稲葉郡南部の六ヵ村組合が解散。新たに墨俣町、穂積町、日置江村などで学校組合を設立。
- 1955年(昭和30年) - 南濃町立石津小学校の校舎を移築。
- 1957年(昭和32年) - 単独校として独立する運動が起きる。
- 1958年(昭和33年)
- 1963年(昭和38年)
- - 岐阜県立大垣女子高等学校の設置が認可される。
- 4月 - 岐阜県立大垣女子高等学校が開校。岐阜県大垣東高等学校は大垣女子高等学校と校舎を共用する。
- 6月14日 - 廃校。生徒は新設の岐阜県立大垣女子高等学校定時制課程被服科に移る。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 廃校時の住所は安八郡墨俣町上宿465-1。
- ^ 現在の岐阜県岐阜市次木764にある寺院。
- ^ 現在の岐阜県岐阜市日置江1391。跡地はJA岐阜日置江になっている。
- ^ 大垣市・安八村・墨俣町・穂積町・巣南村・日置江村
- ^ 現在の岐阜県立大垣桜高等学校の場所。
出典
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参考文献
[編集]- 『日置江の歴史』岐阜市日置江自治会連合会、2006年、560–568頁。
- 『岐阜県定通教育三十周年記念誌』岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会、1978年、110頁。