紺野九右衛門
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紺野 九右衛門(九右衞門、こんの くえもん、1878年(明治11年)6月22日[1][注釈 1] - 1932年(昭和7年)8月12日[2][3][4])は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。幼名・喜太郎[5]。
経歴
[編集]福島県[3]信夫郡井佐野村(平野村[2][4][6]大字井佐野[1]、飯坂町を経て現福島市飯坂町平野[2])で、農業、先代・紺野九右衛門の長男として生まれる[5]。1920年(大正9年)家督を相続し九右衛門を襲名し[5]、農業を営む[5][6]。
1893年(明治26年)福島県尋常中学校(現福島県立安積高等学校)を卒業[2]。その後、仙台数学院(現東北高等学校)で学んだ[3][4][5]。消防組頭、福島税務署管内郡部所得調査員、福島市共立福島病院組合会議員、平野村農会議員などに就任[2][3][4]。若いころから政治活動に熱心で[6]、立憲民政党支部幹事長となり[2]、鈴木寅彦の側近として活躍[2]。1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙(福島県第3区、立憲民政党公認)で当選し[2][5][7]、衆議院議員に1期在任した[3][4]。1930年(昭和5年)2月の第17回総選挙(福島県第3区、立憲民政党)では信夫郡、伊達郡の有権者の推薦を受けて立候補したが、大島要三の当選のため立候補を辞退した[2][8]。
実業界では、福島県農工銀行取締役、東北電力取締役、福島電力取締役、只見川水電重役、横浜土地重役、福島電灯取締役などを務めた[2][3][4][5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『福島県史 第22巻』210頁では明治11年9月。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第17回』衆議院事務局、1930年。
- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。