紀家守
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 神亀2年(725年) |
死没 | 延暦3年4月19日(784年5月12日) |
官位 | 従四位上参議 |
主君 | 光仁天皇→桓武天皇 |
氏族 | 紀氏 |
父母 | 父:紀男人[1] |
兄弟 | 家守、門守、兼貞、家継 |
紀 家守(き の いえもり/ やかもり)は、奈良時代の公卿。大宰大弐・紀男人の子。官位は従四位上・参議。
経歴
[編集]淳仁朝の天平宝字5年(761年)頃治部少丞を務めている。光仁朝初頭の宝亀2年(771年)従五位下に叙せられ、のち右衛士佐に任ぜられる。光仁朝後半は宝亀7年(776年)従五位上・春宮亮兼丹波守、宝亀8年(777年)美濃守に叙任された。
天応元年(781年)春宮亮として仕えた山部親王の即位(桓武天皇)後まもなく左中弁に抜擢され、同年中に正五位上・右中弁兼右兵衛督、天応2年(782年)従四位下・参議兼中宮大夫と急速に昇進を果たして公卿に列した。延暦3年(784年)正月に従四位上に叙せられ、3月には備前守を兼任するが、同年4月19日卒去。享年60。最終官位は参議中宮大夫従四位上。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 天平宝字5年(761年)頃:見治部少丞[2]
- 時期不詳:正六位上
- 宝亀2年(771年) 正月23日:従五位下
- 宝亀3年(772年) 8月28日:見右衛士佐[3]
- 宝亀7年(776年) 正月7日:従五位上。3月6日:丹波守。3月24日:春宮亮(春宮・山部親王)、丹波守如元
- 宝亀8年(777年) 10月13日:美濃守
- 天応元年(781年) 5月7日:左中弁。5月25日:右中弁兼左兵衛督。7月10日:兼右兵衛督。8月12日:正五位上(越階)
- 天応2年(782年) 4月8日:従四位下。5月17日:内蔵頭、右兵衛督如故。6月21日:参議兼中宮大夫、内蔵頭如故
- 延暦3年(784年) 正月7日:従四位上。3月14日:兼備前守。4月19日:卒去(参議中宮大夫従四位上)