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紀家守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
紀 家守
時代 奈良時代
生誕 神亀2年(725年
死没 延暦3年4月19日784年5月12日
官位 従四位上参議
主君 光仁天皇桓武天皇
氏族 紀氏
父母 父:紀男人[1]
兄弟 家守門守、兼貞、家継
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紀 家守(き の いえもり/ やかもり)は、奈良時代公卿大宰大弐紀男人の子。官位従四位上参議

経歴

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淳仁朝天平宝字5年(761年)頃治部少丞を務めている。光仁朝初頭の宝亀2年(771年従五位下に叙せられ、のち右衛士佐に任ぜられる。光仁朝後半は宝亀7年(776年)従五位上・春宮亮丹波守、宝亀8年(777年美濃守に叙任された。

天応元年(781年春宮亮として仕えた山部親王の即位(桓武天皇)後まもなく左中弁に抜擢され、同年中に正五位上・右中弁兼右兵衛督、天応2年(782年従四位下参議中宮大夫と急速に昇進を果たして公卿に列した。延暦3年(784年)正月に従四位上に叙せられ、3月には備前守を兼任するが、同年4月19日卒去享年60。最終官位は参議中宮大夫従四位上。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 続日本紀』延暦3年4月19日条および『尊卑分脈』。「紀氏系図」(『続群書類従』巻第168所収)では紀猿取の子とする。
  2. ^ 『大日本古文書(編年文書)』15巻130頁
  3. ^ 『大日本古文書(編年文書)』4巻197頁

参考文献

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