紀元前13世紀
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(紀元前1250年から転送)
千年紀: | 紀元前2千年紀 |
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世紀: | 前14世紀 - 紀元前13世紀 - 前12世紀 |
紀元前13世紀(きげんぜんじゅうさんせいき)は、西暦による紀元前1300年から紀元前1201年までの100年間を指す世紀。
出来事
[編集]紀元前1300年代
[編集]- 紀元前1300年頃
- アッシリア王アダド・ニラリ1世がミタンニ王(ハニガルバドの君主)ワサシャッタを破り首都タイデを占領。
- 黒海東南にグルジア人によるコルキス王国が成立する。
- ヒッタイト王ムルシリ2世がアナトリア西部のアルザワ国を征服。
- 中央ヨーロッパは後期青銅器時代(ウルネンフェルト文化(骨壺墓地文化) - 紀元前700年頃)。
- 後期ミケーネ文明(後期ヘラディック期III)。
- シチリア島東部にイタリック系シケル人(海の民のシェケルシュ人か)が定住する。
- パンターリカの岩壁墓地遺跡の最古層はこの時代に相当すると考えられている。
- シケル人に先行してシチリア島中央部にはシカニ人、西北部にはエリミ人が定住していた。
- 殷の盤庚が黄河南岸の亳(殷)に遷都(夏商周年表プロジェクトによる)。
- 長江流域でも殷の影響を受けて独特の青銅器文化が展開する( - 紀元前1100年頃)。
紀元前1290年代
[編集]紀元前1280年代
[編集]紀元前1260年代
[編集]- 紀元前1269年 - エジプト・ヒッタイト平和条約(Egyptian–Hittite peace treaty)の締結。
- 紀元前1263年頃 - アッシリア王シャルマネセル1世がミタンニ王シャトゥアラ2世を撃破し領土を完全に併合。
- 紀元前1260年頃 - モーセがファラオ(ラムセス2世か)の迫害に苦しむイスラエルの民を率いてエジプトを脱出[1](出エジプト記に基づく有力説の一つ)。
紀元前1250年代
[編集]- 紀元前1250年頃
紀元前1240年代
[編集]- 紀元前1244年頃 - ラムセス2世によるアブ・シンベル神殿が完成する(着工は紀元前1264年頃)。
- 紀元前1240年頃 - ヒッタイトの王トゥドハリヤ4世が即位。
- この王の治世にヤズルカヤの祭祀遺跡やエフラトゥン・プナルの水辺祭祀遺跡が築かれる。
紀元前1230年代
[編集]- 紀元前1237年頃 - ニフリヤの戦いで、アッシリア王トゥクルティ・ニヌルタ1世がヒッタイトの王トゥドハリヤ4世に勝利。
- 紀元前1235年頃
- アッシリア王トゥクルティ・ニヌルタ1世がカッシートの王カシュティリアシュ4世を捕縛しバビロニアを征服。
- この戦いがもととなり『トゥクルティ・ニヌルタ英雄叙事詩』が編纂される。
- ヒッタイト王トゥドハリヤ4世とその従兄弟でタルフンタッサの副王クルンタが友好を誓約する。
- この誓約の条文(ヒッタイト楔形文字)が刻まれた青銅板がハットゥシャ遺跡で発見されている(アナトリア文明博物館蔵)。
- アッシリア王トゥクルティ・ニヌルタ1世がカッシートの王カシュティリアシュ4世を捕縛しバビロニアを征服。
紀元前1210年代
[編集]- 紀元前1212年頃
- エジプト王ラムセス2世が90歳前後で死去、息子のメルエンプタハが即位。
紀元前1200年代
[編集]- 紀元前1208年頃
- エジプト王メルエンプタハがペルイレルの戦いでリビア人と「海の民」連合軍に勝利。
- この戦いを記念した「メルエンプタハ戦勝碑」の記録は「海の民」のについての最古の記録である。
- 「海の民」としてアカイワシャ人・トゥルシア人・ルッカ人・シェルデン人・シェケレシュ人の5部族の名が挙げられている。
- 「メルエンプタハ戦勝碑」の碑文には、現存最古の「イスラエル」に言及した一節が見られる。
- アッシリアのトゥクルティ・ニヌルタ1世が暗殺される。
- 建設途上の新都カール・トゥクルティ・ニヌルタは放棄され、アッシリアは停滞期に入る。
- エジプト王メルエンプタハがペルイレルの戦いでリビア人と「海の民」連合軍に勝利。
- 紀元前1200年以前 - トロイア戦争に先立ちテーバイ戦争が起きる(伝承に基づくエラトステネス説による)。
- 紀元前1200年頃 - 殷の23代王武丁の時代(武丁中興)に相当する。
人物
[編集]- アダド・ニラリ1世 - アッシリア王(在位前1307年 - 前1275年)
- シャルマネセル1世 - (在位前1274年 - 前1245年)・ミタンニ(ハニガルバト)を滅ぼす
- トゥクルティ・ニヌルタ1世 - アッシリア王(在位元前1244年 - 前1208年)
- ラムセス2世 - エジプト第19王朝のファラオ(在位前1290年 - 前1224年)
- メルエンプタハ - エジプト第19王朝のファラオ(在位前1212年 - 前1202年)
- カエムワセト - エジプト第19王朝ラムセス2世の王子(前1281頃 - 前1225年頃)・「考古学者の祖」と呼ばれる
- ムワタリ2世 - ヒッタイト王(在位前1290年頃 - 前1272年頃)
- ハットゥシリ3世 - ヒッタイト王(在位前1266年頃 - 前1236年頃)
- モーセ - イスラエルの預言者・出エジプトを行ったのはこの世紀とする説がある
- テセウス - アテナイ王(在位前1234年 - 前1204年)・アッティカ地方を統一した
- 武丁(高宗) - 殷の第23代王(在位前1250年 - 前1192年在位)・傅説を重用し殷の中興の祖となる
- 婦好 - 殷の武丁の后妃・祖庚と祖甲の母・女性政治家であり軍事にも参加
- 戊 - 殷の武丁の后妃・青銅器「后母戊大方鼎(司母戊大方鼎)」が副葬された
- 傅説 - 殷の武丁の宰相・土木工事をしていたが武丁に見いだされ宰相となり殷の中興に尽くす
出典
[編集]- ^ ファータド 2013, p. 31「モーセ、エジプトを脱出 モーセが捕われの状態にあったユダヤ人を率いてアシの海を渡り、東方の荒野へと導く。」(当文献では紀元前1250年)
参考文献
[編集]- ピーター・ファータド(編集)、2013、『世界の歴史を変えた日 1001』、ゆまに書房 ISBN 978-4-8433-4198-8