糸井大塚古墳
表示
糸井大塚古墳 | |
---|---|
墳丘全景 (中央に円丘部、右に方形部) | |
別名 | 塚の本1号墳 |
所属 | 塚の本古墳群 |
所在地 | 広島県三次市糸井町 |
位置 | 北緯34度44分55.00秒 東経132度53分56.45秒 / 北緯34.7486111度 東経132.8990139度座標: 北緯34度44分55.00秒 東経132度53分56.45秒 / 北緯34.7486111度 東経132.8990139度 |
形状 | 帆立貝形古墳 |
規模 |
墳丘長65m 高さ8-10m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 埴輪片 |
築造時期 | 5世紀前半 |
史跡 | 広島県指定史跡「糸井大塚古墳(糸井塚の本第一号古墳)」 |
地図 |
糸井大塚古墳(いといおおつかこふん)は、広島県三次市糸井町にある古墳。形状は帆立貝形古墳。広島県指定史跡に指定されている。
概要
[編集]広島県北部の三次盆地南縁、美波羅川の河岸段丘上に築造された大型帆立貝形古墳である[1]。これまでに発掘調査は実施されていない。
墳形は、前方部(方形部)が短小な帆立貝形の前方後円形で、方形部を南東方向に向ける[2]。墳丘長は65メートルを測り、帆立貝形古墳としては広島県内で最大規模になる[3][2]。墳丘表面では葺石・円筒埴輪片が検出されているほか、方形部付近で家形埴輪が認められる[2]。墳丘周囲には周溝(幅約30メートル)が巡らされるが、西側は2号墳(消滅)が存在した関係で幅が狭められている[2]。埋葬施設は明らかでない[2]。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀前半頃と推定される[2]。広島県には帆立貝形古墳が多く、特に三次地域はその集中的な分布地域として知られており、畿内ヤマト王権との関係性を考察するうえで注目される[4][3]。
古墳域は1994年(平成6年)に広島県指定史跡に指定されている[3]。また、周辺では本古墳のほかにも多くの古墳が分布することが知られる。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[2]。
- 古墳全長:100メートル以上 - 周溝を含めた全長。
- 墳丘長:65メートル
- 円丘部(後円部)
- 直径:56メートル
- 高さ:8-10メートル
- 方形部(前方部)
- 幅:19-20メートル
- 高さ:(推定)3メートル
墳丘周囲の周溝の形状は、現在も水田区画に認められる。
文化財
[編集]広島県指定文化財
[編集]- 史跡
- 糸井大塚古墳(糸井塚の本第一号古墳) - 1994年(平成6年)10月31日指定[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(三次市教育委員会、2010年設置)
- 「塚の本古墳」『日本歴史地名大系 35 広島県の地名』平凡社、1982年。ISBN 4582490352。
- 小都隆「大塚古墳 > 糸井大塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 「糸井塚ノ本古墳群」『三次市史II』三次市、2004年。
外部リンク
[編集]- 糸井大塚古墳(糸井塚の本第一号古墳) - 広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま」