粟ヶ崎海岸駅
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粟ヶ崎海岸駅 | |
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あわがさきかいがん AWAGASAKI-KAIGAN | |
◄内灘 (1.3 km) | |
所在地 | 石川県金沢市粟崎町 |
所属事業者 | 北陸鉄道 |
所属路線 | 浅野川線 |
キロ程 | 8.1 km(北鉄金沢起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1929年(昭和4年)7月14日* |
廃止年月日 | 1974年(昭和49年)7月8日 |
備考 | 臨時駅 |
粟ヶ崎海岸駅(あわがさきかいがんえき)は、かつて石川県金沢市粟崎町にあった、北陸鉄道浅野川線の鉄道駅(廃駅)である。
歴史
[編集]粟ヶ崎海岸(現在の内灘海岸)にあった海水浴場へのアクセスとして、1929年(昭和4年)7月14日[1]に浅野川電気鉄道が当駅まで延伸され、終着駅として設けられた。
その後、1945年(昭和20年)に粟ヶ崎遊園前(後の内灘) - 当駅間の廃止に伴い当駅が廃止となっていたが、戦後の1952年(昭和27年)に再び営業を再開した。開設時の駅(起点より8.6キロ)[2]は砂浜にあり浜茶屋の脇にあったが、戦後再開した時には塩害や砂から守るため砂丘の上の高台へ移転している[3]。金沢港の新設により海水浴場が閉鎖されることとなり運転を休止し、1974年(昭和49年)7月8日の内灘 - 当駅間の廃止をもって、営業を終了し廃駅となった。沿線は宅地開発により当時の面影は失われている。
年表
[編集]- 1929年(昭和4年)7月14日:浅野川電気鉄道の新須崎(廃止) - 当駅間延伸に伴い、終着駅として開業。
- 1945年(昭和20年)2月11日:粟ヶ崎遊園前 - 当駅間廃止に伴い廃駅となる。
- 1952年(昭和27年):北陸鉄道浅野川線の粟ヶ崎遊園前 - 当駅間延伸に伴い再開業。
- 1974年(昭和49年)7月8日:内灘 - 当駅間廃止に伴い廃駅となる。
駅構造
[編集]防風林の中に2面2線の相対式ホームがあるだけで、駅舎などはなく、海水浴シーズンのみ営業する臨時駅であった[4]。
駅周辺
[編集]海岸沿いをのと里山海道(石川県道60号線)が通る。近隣にはショッピングモールやゴルフ場がある。前述した海道から内灘駅方面へ延びる道路には「鉄板道路」という愛称が付いている。
- 内灘海岸
- ゴルフ倶楽部金沢リンクス
- コンフォモール内灘
- 石川県立内灘高等学校
- のと里山海道(石川県道60号金沢田鶴浜線)
- 鉄板道路[6]
隣の駅
[編集]- 北陸鉄道
- 浅野川線
- 内灘駅 - 粟ヶ崎海岸駅
脚注
[編集]- ^ 粟ケ崎海岸ハ臨時停車場ニシテ毎年七、八ノ両月ノミ運輸営業ヲ為スモノナリ「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年7月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ^ 山本宏之「北陸鉄道浅野川線内灘駅付近の変遷」『RAIL FAN』No.505
- ^ 『ヒギンズさんが撮った北陸地方の私鉄 コダクロームで撮った1950〜70年代の沿線風景』(アルファベータブックス 2024年9月5日刊)123頁
- ^ “米軍試射場射撃指揮所”. 金沢から能登へ 内灘楽道 内灘町観光協会公式サイト. 内灘町観光協会. 2023年6月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月23日閲覧。
- ^ a b “【まちネタ】戦後の米軍占領下の痕跡、内灘町の「鉄板道路」”. いいじ金沢. 能登印刷 (2018年9月29日). 2021年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月23日閲覧。