米澤潤一
米澤 潤一(よねざわ じゅんいち、1941年3月28日 - )は日本の大蔵官僚。理財局総務課長、横浜税関長、大臣官房審議官(国際金融局担当)、理財局次長(理財担当)、関税局長、日本銀行理事、(公財)金融情報システムセンター理事長などを歴任。国立政策研究大学院大学、埼玉大学大学院客員教授、同志社大学大学院非常勤講師、財政評論家として著書論文多数。
来歴
[編集]神奈川県出身。栄光学園高等学校、東京大学法学部卒業。1963年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1969年7月17日 徳山税務署長。1971年7月 主計局総務課長補佐(歳入・企画)[1]。専担は歳入係と財政制度等審議会の庶務であるが、予算編成全体の特命事項も担当した。歳入係とされていたが、実質は税外収入係で、日銀納付金、専売公社納付金、中央競馬会納付金、国有財産売払収入といったものを取りまとめていたという[2]。
その後は主計局主計官補佐(文部第一、二、三係主査)、同(公共事業総括、公共事業第一係主査)、外務省在連合王国日本国大使館参事官、主計局主計官(文部、科学技術、文化担当)などを務める。
1987年6月25日 理財局総務課長。1988年6月15日 横浜税関長。1989年6月23日 大臣官房審議官(国際金融局担当)。1991年6月11日 理財局次長(理財担当)。1992年6月26日 関税局長。1993年6月25日 退官。1994年6月 日銀理事[3]。2004年9月(公財)金融情報システムセンタ―理事長(2012年8月まで)。退官後、国立政策研究大学院大学、埼玉大学大学院客員教授、同志社大学大学院非常勤講師。財政評論家として執筆活動。
著書論文等
[編集]著書に『国債膨張の戦後史(2013年 きんざい)』、『日本財政を斬る(2016年 蒼天社)』、『国債が映す日本経済史(2017年 金ファク出版 電子書籍)』、『ネゴシエーション 国際会議の裏表(1995年 金融ファクシミリ新聞社)』等
論文等;”国債発行50年の総決算ープライマリー・バランス分析の決定版ー” 財務省財務政策総合研究所ディスカッション・ペーパー(2016.10.14 16A-13)”、”数字で見る平成年間、世界の中の日本経済ー凋落の影にある財政金融政策頼み 貿易と関税2020年6月号”、”黒字国日本の対外純資産(続編)ー運用パーフォーマンスの国際比較ー 貿易と関税2022年6月号”ほか多数。
略歴
[編集]- 1963年4月:大蔵省入省(大臣官房文書課)。
- 1965年5月:名古屋国税局調査査察部国税調査官。
- 1966年4月:大臣官房調査課。
- 1967年7月:理財局総務課企画係長[4]。
- 1969年7月17日:徳山税務署長。
- 1970年7月10日:国税庁調査査察部調査課長補佐。
- 1971年7月:主計局総務課長補佐(歳入・企画)[1]。
- 1972年6月~1978年7月:主計局主計官補佐(科学技術、文化係主査)、同(公共事業第二係主査)、同(文部第一、二、三係主査)、同(公共事業総括係主査)。
- 1979年5月:外務省在連合王国日本国大使館一等書記官。
- 1980年1月:外務省在連合王国日本国大使館参事官。
- 1982年6月:主計局主計官(文部、科学技術、文化担当)。
- 1984年6月:理財局国債課長。
- 1986年6月:理財局資金第一課長。
- 1987年6月25日:理財局総務課長。
- 1988年6月15日:横浜税関長。
- 1989年6月23日:大臣官房審議官(国際金融局担当)。
- 1991年6月11日:理財局次長(理財担当)。
- 1992年6月26日:関税局長。
- 1993年6月25日:退官。
- 1994年6月:日本銀行理事(〜1998年5月)。
- 2004年9月:(公財)金融情報システムセンター理事長(~2012年8月)。
- 2011年4月:瑞宝中授章受章。
主要公的兼職
[編集]- 通商産業省産業構造審議会資金部会委員(1994年6月~1998年5月)
- 金融庁金融審議会金融分科会特別部会専門委員(2004年11月~2012年8月)
- 財務省関税等不服審査会委員(2005年2月~2011年3月)
- (社)日本租税研究協会理事(1994年6月~1998年5月)
- (社)経済団体連合会評議員(1999年6月~2002年6月)
脚注
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