合田一家
本部 | 〒750-0025 山口県下関市竹崎町3-13-6[1] |
---|---|
首領 | 末広 誠(本名:金 教煥)[1] |
活動範囲 | 2県[1] |
構成員数 (推定) | 約30人(2023年末時点)[1] |
合田一家(ごうだいっか[2])は、山口県下関市に本部を置く指定暴力団。構成員数は2023年末の時点で約30人[1]。
来歴
[編集]篭寅組の代貸であった合田幸一が昭和23年(1948年)頃に下関市を本拠地として『合田組』を結成、これを直接の起源とする。昭和43年(1968年)をもって『合田一家』と名を変え、その後数代を経てゆく過程で反目勢力との対立抗争を繰り返しながら勢力を拡大していった。昭和62年(1987年)に山中大康こと李大康が五代目を襲名したのち、山口県下の反目勢力を次々と吸収、県全域を勢力範囲とするまでになった[3]。福岡県北九州市にも勢力を持つ。
初代籠寅組
[編集]保良浅之助が設立した。
二代目籠寅組
[編集]保良浅之助の長男・保良寅之助が籠寅組二代目を継いだ。
合田組・初代合田一家
[編集]昭和23年(1948年)頃、合田幸一が籠寅組を引き継ぐ形で合田組を設立した。合田幸一は、籠寅組の代紋を継いだが、恐れ多いとの事で籠寅組の家名は継がなかった。
昭和45年(1970年)、合田幸一の提唱により反山口組同盟・関西二十日会が結成された。加盟組織は、初代合田一家、大阪市の二代目松田組、神戸市の忠成会、姫路市の木下会、岡山市の初代浅野組、広島市の共政会、北九州市の初代工藤会など[4]。
合田一家・二代目以降
[編集]昭和50年(1975年)に合田幸一が死去し、浜部一郎が後を継ぐ。
昭和58年(1983年)、浜崎彰が三代目を継ぐが翌昭和59年(1984年)に病死。翌昭和60年(1985年)に川崎友治が四代目を継ぐも翌昭和61年(1986年)に病死、と合田一家は相次いで総長を失った。翌昭和62年(1987年)に山中大康が五代目を継いで体制の立て直しに入る。
五代目合田一家
[編集]昭和63年(1988年)、「西日本二十日会」が結成された。山口組を仮想敵とした「関西二十日会」とは違い親睦団体であった。西日本二十日会の加盟団体は、唐津市の西部連合、下関市の五代目合田一家、広島市の三代目共政会、尾道市の初代俠道会、笠岡市の三代目浅野組、松山市の松山連合会、岡山市の木下会、徳島市の勝浦会、高松市の初代親和会、大阪市の波谷組。
平成3年(1991年)、西日本二十日会解散。
平成4年(1992年)7月27日、山口県公安委員会から指定暴力団に指定された。
六代目合田一家
[編集]平成6年(1994年)2月、合田一家若頭・温井完治が合田一家六代目を継いだ。五代目山口組舎弟頭補佐・大石誉夫(後の六代目山口組顧問)が後見人となった。
平成8年(1996年)2月、四代目共政会、二代目俠道会、三代目浅野組、六代目合田一家、親和会は、親睦会「五社会」を結成した[5]。
七代目合田一家
[編集]総長温井完治の引退を受け、六代目体制の最高幹部であった傘下四代目小桜組の末広誠が2009年の9月に七代目を襲名[6]。
歴代総長
[編集]- 籠寅組初代:保良浅之助
- 籠寅組二代目:保良寅之助
- 合田一家初代:合田幸一
- 合田一家二代目:浜部一郎
- 合田一家三代目:浜崎 彰
- 合田一家四代目:川崎友治
- 合田一家五代目:山中大康(本名:李 大康)
- 合田一家六代目:温井完治
- 合田一家七代目:末広 誠(本名:金 教煥)
総長
末廣 誠
執行部
若 頭 - 新井鐘吉(五代目小桜組組長) 本部長 - 片山洋二郎(三代目一松組組長)- 勾留中 幹事長 - 皿田正信(二代目岡村組組長) 組織委員長 - 砂田信一郎(砂田組組長) 渉外委員長 - 那須三四志(三四志組組長) 風紀委員長 - 金ヶ江二郎(五代目小桜組若頭・二代目新井組組長) 慶弔委員長 - 阪本 絋 (二代目中川組若頭・阪本組組長) 事務局長 - 金子正守(金子組組長)
舎弟
早田芳雄(二代目中川組組長) 大藤相介(二代目阿部組組長) 成田清郎(成田組組長) 下川吉春(下川組組長)
幹部
中野 実(五代目小桜組舎弟・本家総長付) 江口竜也(三代目一松組本部長・総長付) 山川辰士(二代目岡村組本部長・総長付) 西 充(三四志組若頭・総長付) 池本尚幸(二代目岡村組若頭補佐)
直参
竹本敬也(二代目椎木組組長) 日下正安(日下組組長) 上田忠義(上田組組長) 石津一彦(六代目甲斐組組長) 吉田光晴(二代目岡村組舎弟頭) 橋村泰志(三代目一松組若頭)
エピソード
[編集]昭和60年の四代目・川崎友治総長の襲名披露をフジテレビが取材しており、同年7月に「木曜ファミリーワイドーTHE ヤクザ」として放送された。同番組では野坂昭如が津川組(後に工藤会)組長、山中大康・小桜組組長(後の五代目総長)などの組幹部へのインタビューを行う一方、指を詰めたり、刑期を終えて出所するも間もなく死亡するなど、末端の組員の実情も取り上げられた。
傘下組織
[編集]小桜組
[編集]七代目合田一家の二次団体。
- 初代 - 加藤政雄(本名:崔 政雄)
- 二代目 - 加藤法龍(本名:崔 法龍)
- 三代目 - 山中大康(本名:李 大康)(五代目合田一家総長)
- 四代目 - 末広 誠(本名:金 教煥)(七代目合田一家総長)
- 五代目 - 新井鐘吉(本名:朴 鐘吉)(七代目合田一家若頭)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e “令和5年における組織犯罪の情勢【確定値版】図表1-25 指定暴力団一覧表(25団体)” (PDF) (2024年3月21日). 2024年4月14日閲覧。
- ^ 警察庁 (2020). POLICE OF JAPAN > CRIMINAL INVESTIGATION > 2. Fight against Organized Crimes(日本の警察>犯罪捜査>2. 組織犯罪との闘い) (PDF) (Report). pp. 28–30. 2021年4月8日閲覧。 『ロクダイメ・ゴーダイッカ(Rokudaime Goda-ikka)』
- ^ 『平成5年度警察白書 第1節 暴力団の実態』 1993年 警察庁
- ^ 溝口敦『撃滅 山口組vs一和会』講談社<講談社+α文庫>、2000年、ISBN 4-06-256445-9 のP.208
- ^ 『松江八束建設業暴力追放対策協議会』のHPの「暴力団ミニ講座」の「36)四代目共政会」
- ^ 『7代目総長が襲名披露 合田一家、県警が厳戒態勢』 2009年10月21日 山口新聞
参考文献
[編集]- 『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6 のP.138~P.139
- 二条凛、坂梨公治 マンガ『実録 武侠ヤクザ伝 籠寅三代目 合田幸一』竹書房 実録ピカレスクシリーズ バンブーコミックス、2008年、ISBN 978-4-8124-6675-9
- 『実話時報』2009年3月号(竹書房)
- 『実話時報』2009年12月号(竹書房)