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篤仁王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
篤仁王
閑院宮家
続柄 閑院宮載仁親王第1男子

全名 篤仁(あつひと)
身位
敬称 殿下
出生 (1894-07-09) 1894年7月9日
死去 (1894-07-10) 1894年7月10日(0歳没)
埋葬 1894年7月12日
豊島岡墓地
父親 閑院宮載仁親王
母親 載仁親王妃智恵子
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篤仁王(あつひとおう、1894年明治26年〉7月9日 - 1894年明治26年〉7月10日 )は、日本皇族閑院宮載仁親王の第1男子。母は、三条実美公爵令嬢・智恵子身位で、皇室典範における敬称殿下

生涯

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1894年明治26年)7月9日閑院宮載仁親王同妃智恵子の第1男子(第1子)として誕生したが[1][2]、翌7月10日に薨去した[1][3]。遺体は同年7月12日、閑院宮邸から運ばれて、豊島岡墓地に埋葬された[4]。0歳没。

親族

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脚注

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  1. ^ a b 霞会館 1996, p. 33.
  2. ^ 『官報』第3309号、1894年7月11日, 宮内省告示第三號.
  3. ^ 『官報』第3309号、1894年7月11日, 宮内省告示第四號.
  4. ^ 『官報』第3311号、1894年7月13日, 宮廷録事「御埋葬」.

参考文献

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書籍
官報