篠原和市
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篠原 和市(しのはら わいち、1881年(明治14年)3月29日[1] - 1930年(昭和5年)8月14日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)[3]、ジャーナリスト。
経歴
[編集]長野県南佐久郡岸野村(現在の佐久市)出身。篠原代吉の三男[3]。小諸義塾を卒業し、日本大学法科で学んだ[3]。大阪毎日新聞・東京日日新聞各記者となった[3]。
清浦内閣で鈴木喜三郎司法大臣の秘書官を務めた後、1925年(大正14年)の衆議院補欠選挙に当選。その後の第17回・第18回総選挙でも再選された。その間、田中義一内閣で鈴木喜三郎内務大臣の秘書官に就任した。
他に日本大学評議員、国本社評議員を務めた。また日本大学推薦校友であった[4]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、19頁。
- ^ 『官報』第1095号、昭和5年8月22日
- ^ a b c d 『人事興信録 第8版』シ32頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月3日閲覧。
- ^ 『日本大学校友会会員名簿 昭和7年4月現在』推薦校友の部539頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 日本大学校友会編『日本大学校友会会員名簿 昭和7年4月現在』日本大学校友会、1928-1933年。
- 『衆議院要覧(乙) 昭和五年四月』衆議院事務局、1930年。