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篁修寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
篁修寺こうしゅうじ
所在地 神奈川県横浜市磯子区5丁目9-6
位置 北緯35度23分26秒 東経139度36分26.2秒 / 北緯35.39056度 東経139.607278度 / 35.39056; 139.607278座標: 北緯35度23分26秒 東経139度36分26.2秒 / 北緯35.39056度 東経139.607278度 / 35.39056; 139.607278
山号 荒神山[注釈 1] → 鳳林山
宗旨 禅宗臨済宗
宗派 建長寺派
本尊 釈迦如来像[1]
創建年 1381年[2]
開山 光室卯公[1]
中興 南岫碩源
正式名 鳳林山篁修禪寺
鳳林山篁修寺
札所等 金沢観音霊場
法人番号 7020005003460 ウィキデータを編集
篁修寺の位置(横浜市内)
篁修寺
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篁修寺(こうしゅうじ[2])は、神奈川県横浜市磯子区にある臨済宗建長寺派の寺院。山号鳳林山(ほうりんさん)、本尊は釈迦如来

歴史

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1381年永徳元年)、杉田東漸寺の11代光室卯公により、当地の竹林に開創。光室は1383年9月3日に入寂し、無住のまま荒廃していった。1512年永正9年)、この付近で北条早雲の軍と三浦道寸の軍との戦があり、当山は焼失したとの言い伝えがある。記録が残されているのは1652年承応元年)以降で、時期は不詳であるが南岫碩源により再興されたとある。碩源は1673年延宝元年)に入寂。その後、森中原村の名主の寄進により1694年元禄7年)に新たな釈迦如来像が造立された。1744年延享元年)には梵鐘鐘楼が造られた。この鐘楼は磯子区内で最古のものであるが、梵鐘は1944年に戦時供出されて現存しない。新たな鐘がかけられたのは1969年のことである。1861年には、山号を荒神山から鳳林山に改めた[3]

境内

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本尊の釈迦座像と薬師三尊十二神将、如意輪観世音は本堂に祀られている。かつては境内南側に薬師堂があったが、明治初期に廃堂になった[4]

交通アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 新編武蔵風土記稿』では荒貴山[1]

出典

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  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 森公田村.
  2. ^ a b 磯子社寺探訪 篁修寺”. 関 勝則 (2011年3月28日). 2018年2月26日閲覧。
  3. ^ (磯子の史話 1978, pp. 431–435)
  4. ^ (磯子の史話 1978, pp. 434–435)

参考文献

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  • 磯子区制50周年記念事業委員会『磯子の史話』1978年6月30日。 
  • 「森公田村 篁修菴」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ79久良岐郡ノ7、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763986/57