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箱崎文応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

箱崎 文応(はこざき ぶんおう、1892年明治25年)4月7日 - 1990年平成2年)2月6日 )は、天台宗僧侶比叡山延暦寺千日回峰行を戦前満行した行者として知られる。天台宗北嶺大行満大阿闍梨、大僧正、比叡山一山 飯室谷不動堂長寿院住職を務めた。

経歴

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福島県石城郡小名浜町(現・いわき市)に生まれる[1]。出生時の名は箱崎作[1]

1930年、海難事故に遭い遭難者の菩提を願い比叡山に入る[1]。翌年、大乗院住職、小森文諦の門弟となり、文応を名乗る[1]。   

四度加行の満行(1932年)、入壇灌頂履修(1933年)を経て、1934年より回峰修行に入る[1]。1938年10月25日より11月2日の間、断食・断水・不眠・不臥の堂入修行をおこなった[1]。1940年10月に一千日を満行し、北嶺大行満大阿闍梨となる[1]

以降、吉野大峰山回峰一百日(1942年)、比叡山飯室回峰一百日(1943年)、木曽御嶽回峰一百日(1944年)の回峰行をおこない、1948年の比良山回峰に際しては比良山頂に回峰修行場を開いた[1]

1950年、比叡山延暦寺一山長寿院住職となり、1971年に大僧正(天台宗布教師一等待遇)に任じられる[1]。 

1990年2月6日、長寿院にて遷化(世寿98歳、法寿58歳)[1]

没後の1992年5月20日、出身地に近いいわき市勿来町の大高寺に、文応の記念碑が建立された[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 大高寺設置の記念碑文面による。
  2. ^ いわき市出身の箱崎文応(はこざきぶんおう)大阿闍梨(だいあじゃり)の石碑の除幕式が掲載された当時の新聞記事を知りたい。また、石碑の内容が掲載された文献を知りたい。 - 国会図書館レファレンス共同データベース

関連文献

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新聞記事
  • 福島民友新聞1992年5月18日(記念碑建立の報道)
  • 福島民報1992年5月20日(記念碑建立の報道)
  • いわき民報1992年5月21日(記念碑建立の報道)
  • 松村栄子「いわきで生まれた大阿闍梨」福島民報2008年1月1日
書籍
  • 島一春『行道に生きる―比叡山千日回峰行者 酒井雄哉』佼成出版社、1983年
  • 長尾三郎『生き仏になった落ちこぼれ―酒井雄哉大阿闍梨の二千日回峰行』講談社、1988年(<講談社文庫>、1992年)
  • いわきが生んだ大僧正 箱崎文應伝 鈴木秀ヲ 雄峰舎(八幡印刷株式会社)2021年3月25日

関連項目

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外部リンク

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先代
千日回峰行者(天台宗)
1934年 - 1940年
次代
叡南祖賢