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筑豊鉄道

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筑豊興業鉄道から転送)
筑豊鉄道
路線範囲 福岡県
運行 1891年–1897年
後継 九州鉄道国鉄を経て
JR九州筑豊本線
平筑伊田線など
軌間 1067mm
テンプレートを表示
筑豊鉄道

九州鉄道に合併当時

距離は鉄道省 (1937)
KBHFa
0.0 若松
kABZq+3
10.8 折尾
kABZg+1
九州鉄道
BHF
14.9 中間
DST
底井野(信)
BHF
21.2 植木
DST
23.6 新入(貨)
BHF
24.8
0.0
直方
ABZgl STR+r
STR BHF
9.9 金田[1]
STR KDSTe
11.0 金田貨物[2]
BHF
31.3
0.0
小竹
STR+l ABZgr
BHF STR
4.9 幸袋
KBHFe STR
5.6 幸袋炭坑[2]
BHF
34.7 鯰田
BHF
39.4 飯塚
KBHFe
46.4 臼井

筑豊鉄道(ちくほうてつどう)は、かつて福岡県に存在した鉄道事業者である。日本の民営鉄道創生期における最も代表的な産業鉄道企業[3]

筑豊で産出される石炭の輸送を目的に、1891年筑豊興業鉄道(ちくほうこうぎょうてつどう)として設立され、今の筑豊本線などを建設した会社が1894年に改称したもの。1897年九州鉄道へ合併され、1907年鉄道国有法により国有化された。

沿革

[編集]
  • 1888年(明治21年)7月30日:筑豊興業鉄道[4]に対し鉄道線路測量仮免状下付(穂波郡飯塚村-遠賀郡若松港間、鞍手郡直方町-田川郡赤池村間)[5]
  • 1889年(明治22年)
    • 7月12日:鉄道布設免許状下付(遠賀郡若松港-鞍手郡直方町-穂波郡飯塚町、直方町-神田村間)[6]
    • 8月21日:鉄道線路測量仮免状下付(田川郡神田村-添田村間)[7]
  • 1890年(明治23年)11月19日:鉄道布設免許状下付(田川郡神田村-同郡伊田村)[8]
  • 1891年(明治24年)8月30日:若松 - 直方間開業[9]
  • 1892年(明治25年)10月28日:直方 - 小竹間開業[10]
  • 1893年(明治26年)
    • 2月11日:直方 - 金田間開業[11]
    • 6月21日:鉄道布設免状返納(明治23年11月認可、田川郡神田村-同郡伊田村間)[12]
    • 6月30日:中間 - 九州鉄道黒崎間の連絡線開業
    • 7月3日:小竹 - 飯塚間開業し、若松 - 飯塚間が全通[13][14]
    • 12月20日:底井野-植木間複線化[15]
  • 1894年(明治27年)
    • 2月16日:私設鉄道仮免状下付(鞍手郡勝野村-穂波郡大谷村間)[16]
    • 7月31日:私設鉄道仮免状下付(飯塚停車場-福岡県下白井間他)[17]
    • 8月15日:筑豊鉄道に社名変更
    • 12月21日:折尾-中間間、植木-直方間複線化[18]
    • 12月28日:小竹 - 幸袋 - 幸袋炭坑間開業[19]
  • 1895年(明治28年)4月5日:飯塚 - 臼井間開業[20]
  • 1896年(明治29年)
    • 4月29日:若松-折尾間複線化[21]
    • 5月9日:私設鉄道免許状下付(白井停車場-熊田間)[22]
    • 5月16日:私設鉄道仮免状下付(金田停車場-豊州鉄道伊田停車場間、熊田村下山田-同村上山田間、金田停車場-糸田村間)[23]
    • 7月31日:私設鉄道仮免状下付(福岡県石峰-戸畑間)[24]
  • 1897年(明治30年)10月1日:九州鉄道に合併

保有路線

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1897年9月時点

輸送・収支実績

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年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円)
1891 111,025 55,468 28,674 24,213 4,461
1892 193,676 183,372 113,510 68,436 45,074
1893 335,576 545,714 265,129 164,159 100,970
1894 440,510 991,107 506,274 187,957 318,317
1895 577,432 1,307,056 677,859 277,534 400,325
1896 761,263 1,412,842 759,201 344,611 414,590
1897 545,440 822,430 455,728 210,156 245,572

出典: (『鉄道局年報 明治38年度』, 「官私設鉄道運輸延哩程累年表」「官私設鉄道営業収支累年表」/ 国立国会図書館近代デジタルライブラリー)

車両

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蒸気機関車

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1897年の九州鉄道への合併時点で、次の9形式30両が在籍した。山陽鉄道から譲り受けた2両以外は、すべてアメリカボールドウィン・ロコモティブ・ワークス製であった。

1
1889年米ボールドウィン製。車軸配置0-4-0 (B) のサドルタンク機 → 九州鉄道71形 (71)
2
1889年米ボールドウィン製。車軸配置0-4-2 (B1) のリアタンク機 → 九州鉄道72形 (72)
3, 4, 10-14, 17-19, 27, 28
1890-1895年米ボールドウィン製。車軸配置2-6-2 (1C1) のタンク機 → 九州鉄道73形 (73, 74, 80-84, 87-89, 97, 98) → 鉄道院3300形 (3306-3317)
5, 6
1880年バルカン・ファウンドリー製。車軸配置2-4-2 (1B1) のタンク機。旧山陽鉄道25, 27 → 九州鉄道75形 (75, 76) → 鉄道院700形 (715, 700)
7, 8, 15, 16, 29, 30
1892-1895年米ボールドウィン製。車軸配置2-6-0 (1C) のテンダ機 → 九州鉄道77形 (77, 78, 85, 86)・99形 (99, 100) → 鉄道院8000形 (8000-8005)
9
1892年米ボールドウィン製。車軸配置2-6-0 (1C) のテンダ機 → 九州鉄道79形 (79) → 鉄道院8050形 (8050)
20, 21
1894年米ボールドウィン製。車軸配置0-6-0 (C) のタンク機 → 九州鉄道90形 (90, 91) → 鉄道院1320形 (1320, 1321)
22-24
1895年米ボールドウィン製。車軸配置0-8-0 (D) のタンク機 → 九州鉄道92形 (92-94) → 鉄道院4030形 (4030-4032)
25, 26
1895年米ボールドウィン製。車軸配置0-6-0 (C) のタンク機 → 九州鉄道95形 (95, 96) → 鉄道院1010形 (1012, 1013)

客車

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1897年の九州鉄道への合併時点で特等並等混合客車(定員37人)6両、並等客車(定員50人)7両、並等緩急合造車(定員45人)2両、並等緩急郵便合造車(定員27人)5両、並等郵便合造車(定員45人)2両の合計22両であった[25]

貨車

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1897年の九州鉄道への合併時点で無蓋貨車横開六屯積298両、木製底開貨車六屯積300両、鉄製底開貨車六屯積400両、有蓋貨車五屯積24両合計1022両であった[26]

車両数の推移

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年度 機関車 客車 貨車
1891 4 8 100
1892 6 8 280
1893 14 19 496
1894 21 19 700
1895 35 22 762
1896 30 22 1,022

出典: (『鉄道局年報 明治38年度』, 国立国会図書館デジタルコレクション)

役員

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明治23年の役員[3]

  • 社長
  • その他
    • 林芳太郎(福岡県会議員)
    • 下沢善四郎(博多商人・炭鉱主)

明治30年の役員[27][28]

脚注

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  1. ^ (今尾(2009)) は9.8km
  2. ^ a b 今尾(2009)
  3. ^ a b 東條正「株主名簿に見る明治20年代前半における筑豊興業鉄道会社の大株主構成」『經營と經濟』第69巻第1号、長崎大学経済学会、1989年6月、89-119頁、CRID 1050568772239910272hdl:10069/28391ISSN 02869101 
  4. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治27年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「鉄道線路測量仮免状下付」『官報』1888年8月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「鉄道布設免許状下付」『官報』1889年7月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「鉄道線路測量仮免状下付」『官報』1889年8月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 「鉄道布設免許状下付」『官報』1890年12月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「鉄道運輸開業免許状下付及開業」『官報』1891年8月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「鉄道運輸開業」『官報』1892年10月31日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「運輸開業」『官報』1893年2月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「筑豊興業鉄道会社鉄道布設免状返納ノ件」『公文雑纂・明治二十六年・第二十二巻・逓信省』国立公文書館デジタルアーカイブ
  13. ^ 『鉄道局年報. 明治26年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 「運輸開業」『官報』1893年7月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「第十回報告」『福岡県史』近代資料編 筑豊興業鉄道(1)、1990年、245頁
  16. ^ 「私設鉄道仮免状下付」『官報』1894年2月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 「私設鉄道敷設免許状及仮免状下付」『官報』1894年8月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 「第十二回報告」『福岡県史』近代資料編 筑豊興業鉄道(1)、1990年、358頁
  19. ^ 『鉄道局年報. 明治27年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 『鉄道局年報. 明治28年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 「第十七回報告」『福岡県史』近代資料編 筑豊興業鉄道(1)、1990年、666頁
  22. ^ 「私設鉄道免許状仮免許状下付下付」『官報』1896年5月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ 「私設鉄道仮免状及免許状下付」『官報』1896年5月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ^ 「私設鉄道敷設仮免状下付」『官報』1896年9月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ^ 「客車表、第十七回報告」『福岡県史』近代資料編 筑豊興業鉄道(1)、1990年、647頁
  26. ^ 「貨車表、第十七回報告」『福岡県史』近代資料編 筑豊興業鉄道(1)、1990年、647頁
  27. ^ 「第十七回報告」『福岡県史』近代資料編 筑豊興業鉄道(1)、1990年、621頁
  28. ^ 『鉄道局年報 明治38年度』.
  29. ^ 本業は酒造業,後に筑前参宮鉄道社長『人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献

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関連文献

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