笹村吉郎
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笹村 吉郎(ささむら きちろう、1867年5月14日(慶應3年4月11日) - 1960年(昭和35年)7月24日)は、日本の技術者、実業家。日本で先駆け的にディーゼル機関を開発し、新潟鐵工所社長や同社会長を務めた。
人物・経歴
[編集]長州藩士の長男として萩町川島村(現山口県萩市大字川島)に生まれる。父が「士族の商法」で事業に失敗したため中学校に進学する資金がなく、公費で通える山口師範学校(現山口大学教育学部)を1885年に卒業し、船木小学校校長となった。その後叔父の援助などもあり、1892年に東京工業学校(現東京工業大学)機械科を卒業し、東京石川島造船所へ入社した[1]。
銅ヶ丸鉱山機械課長を経て、1897年日本石油付属新潟鉄工所技師長に就任。やがて内藤久寛社長の知遇を得て、1910年に新潟鐵工所が設立されると専務取締役に就任した[1]。ディーゼル機関の開発に成功して事業を拡大させ[1][2]、1929年からは社長を務めた[1][3][4]。1935年蔵前工業会理事長[5]。1940年新潟鐵工所会長。同年笹村機械工学奨励会を設立[6]。
著書
[編集]- 『過き来し跡』笹村吉郎 1934年
脚注
[編集]- ^ a b c d 「社長笹村吉郎氏」新潟鉄工所四十年史 [182](国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 木下鐵工所全史 - 阪神内燃機工業株式会社
- ^ 「笹村吉郞 (男性)」人事興信録データベース(名古屋大学)
- ^ 「新潟鐵工所社長・笹村吉郎君/135」現代業界人物集(国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “蔵前工業会創立100周年記念特集” (PDF). 社団法人蔵前工業会. p. 59 (2006年). 2019年11月23日閲覧。
- ^ 「(株)新潟鉄工所『新潟鉄工所100年史』(1996.03)」渋沢社史データベース
外部リンク
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