第6戦車大隊
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第6戦車大隊 | |
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創設 | 1954年(昭和29年)9月25日 |
廃止 | 2019年(平成31年)3月25日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 大隊 |
兵科 | 機甲科 |
所在地 | 宮城県黒川郡大和町 |
編成地 | 福島 |
上級単位 | 第6師団 |
担当地域 | 宮城県 |
第6戦車大隊(だいろくせんしゃだいたい、英語:JGSDF 6th Tank Battalion)は、宮城県黒川郡大和町の大和駐屯地に駐屯していた、陸上自衛隊第6師団隷下の機甲科部隊である。2019年 (平成31年)3月25日に廃止された。
概要
[編集]第6戦車大隊長は大和駐屯地司令を兼務していた。
部隊マークは、数字の”6”を矢尻のようにデザインされたものである。74式戦車の導入時に制定された部隊マークである。当時は赤と白の組み合わせで、3桁の車体番号を書いていたが、廃止当時は番号もなくなり黒一色となっていた。
2019年3月25日付で部隊廃止となり、第22即応機動連隊の機動戦闘車隊に改組されたが、移駐等は無く引き続き大和駐屯地に所在している[注釈 1]。駐屯地司令職務は第6偵察隊長に移管された。
沿革
[編集]第6特車大隊
第6戦車大隊
- 1962年(昭和37年)
- 1月18日:第6戦車大隊に称号変更(2個戦車中隊基幹)。
- 8月15日:第3戦車中隊を新編。
- 1970年(昭和45年)3月10日:第6師団の甲師団への改編に伴い、第4戦車中隊を新編。
- 1991年(平成 3年)3月29日:戦車北転事業の影響により第4戦車中隊が廃止。
- 1999年(平成11年)3月29日:コア部隊として第4戦車中隊が再編。
- 2006年(平成18年)3月27日:即応近代化改編により第3戦車中隊、第4戦車中隊を廃止[1]。後方支援体制変換に伴い、整備部門を第6後方支援連隊第2整備大隊戦車直接支援隊へ移管。
- 2018年(平成30年)8月7日:大和駐屯地において16式機動戦闘車入魂式を実施[2][3]。
- 2019年 (平成31年)3月25日:第6戦車大隊(大和駐屯地)を廃止[4] 。第22即応機動連隊機動戦闘車隊に改編(駐屯地司令職務は第6偵察隊に移管)。
廃止時の部隊編成
[編集]整備支援部隊
[編集]主要幹部
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 伊藤常男 | 1954年 | 9月25日 - 1957年 8月11日||
2 | 相原貞重 | 1957年 | 8月12日 - 1960年10月 9日陸上自衛隊富士学校勤務 | 陸上自衛隊富士学校勤務 |
3 | 小部喜久 | 1960年10月10日 - 1962年 | 7月31日陸上自衛隊富士学校勤務 | 陸上自衛隊富士学校付 |
4 | 首藤高見 | 1962年 | 8月 1日 - 1966年 3月15日陸上自衛隊業務学校 | 陸上自衛隊富士学校勤務 |
5 | 寒河江智 | 1966年 ※1967年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
3月16日 - 1967年 7月16日陸上自衛隊幹部学校勤務 (2等陸佐) |
陸上自衛隊富士学校機甲科教育部 戦術班長 |
6 | 吉井忠 | 1967年 | 7月17日 - 1970年 3月15日陸上自衛隊幹部候補生学校勤務 | 陸上自衛隊富士学校学校教官 |
7 | 野田敏士 | 1970年 ※1972年 1月 1日 1等陸佐昇任 |
3月16日 - 1972年 3月15日陸上自衛隊幹部候補生学校勤務 (2等陸佐) |
第1機甲教育隊長 |
8 | 小田安生 | 1972年 ※1973年 1月 1日 1等陸佐昇任 |
3月16日 - 1973年 7月15日第8師団司令部第3部長 (2等陸佐) |
第39普通科連隊長 兼 弘前駐とん地司令 |
9 | 柴田清隆 | 1973年 | 7月16日 - 1976年 7月15日第12師団司令部付 | 第1戦車団本部勤務 |
10 | 柚木文夫 | 1976年 ※1977年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
7月16日 - 1977年 7月31日防衛大学校勤務 (2等陸佐) |
陸上自衛隊富士学校学校教官 |
11 | 大島義久 | 1977年 | 8月 1日 - 1979年 7月31日第1教育団本部勤務 | 第1教育団本部勤務 |
12 | 斎藤晴之 | 1979年 | 8月 1日 - 1981年 7月31日陸上自衛隊高射学校勤務 | 陸上自衛隊富士学校学校教官 |
13 | 竹家良輔 | 1981年 | 8月 1日 - 1984年 3月15日防衛大学校勤務 | 陸上自衛隊冬季戦技教育隊長 |
14 | 北村英雄 | 1984年 ※1986年 1月 1日 1等陸佐昇任 |
3月16日 - 1986年 7月31日陸上自衛隊幹部学校 | 陸上自衛隊富士学校学校教官 |
15 | 堀隆吉 | 1986年 | 8月 1日 - 1989年 3月15日陸上自衛隊富士学校勤務 | 陸上自衛隊幹部候補生学校勤務 |
16 | 徳永育郎 | 1989年 | 3月16日 - 1991年 7月31日陸上自衛隊富士学校勤務 | 陸上自衛隊東北地区補給処企画室長 |
17 | 大沼主税 | 1991年 | 8月 1日 - 1993年 7月31日陸上自衛隊富士学校勤務 | 陸上自衛隊幹部学校勤務 |
18 | 平川眞士 (1等陸佐) |
1993年 | 8月 1日 - 1995年 3月27日陸上幕僚監部付 | 東北方面総監部防衛部訓練課長 |
19 | 渡邊正二 (1等陸佐) |
1995年 | 3月28日 - 1997年 3月25日第1機甲教育隊長 | 東部方面総監部総務部総務課長 |
20 | 工藤敏生 (1等陸佐) |
1997年 | 3月26日 - 1999年 3月22日陸上自衛隊富士学校勤務 | 第1機甲教育隊長 |
21 | 小森谷博 | 1999年 ※1999年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
3月23日 - 2002年 3月21日陸上自衛隊幹部学校勤務 | 通信団本部付 →2002年6月26日 定年退官 |
22 | 福山義久 (1等陸佐) |
2002年 | 3月22日 - 2004年 3月22日装備実験隊第6実験科長 | 西部方面総監部装備部後方運用課長 |
23 | 田中一二 | 2004年 ※2005年 1月 1日 1等陸佐昇任 |
3月23日 - 2005年 8月25日陸上幕僚監部防衛部防衛課勤務 (2等陸佐) |
陸上自衛隊幹部学校付 |
24 | 小和瀬一 | 2005年 ※2006年 1月 1日 1等陸佐昇任 |
8月26日 - 2006年 8月 3日(2等陸佐) |
陸上自衛隊幹部学校付 |
25 | 森博史 | 2006年 ※2007年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
8月 4日 - 2008年 7月31日防衛大学校助教授 (2等陸佐) |
陸上自衛隊富士学校主任教官 |
26 | 阿部昌平 | 2008年 ※2010年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
8月 1日 - 2010年 7月31日陸上自衛隊研究本部勤務 (2等陸佐) |
第5旅団司令部第3部長 |
27 | 諏訪国重 (1等陸佐) |
2010年 | 8月 1日 - 2011年11月30日陸上幕僚監部装備部装備計画課勤務 | 陸上幕僚監部人事部募集・援護課 援護班長 |
28 | 北崎直弥 | 2011年12月 ※2012年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
1日 - 2013年 7月31日技術研究本部技術開発官(陸上担当)付 (2等陸佐) |
陸上自衛隊富士学校機甲科部 研究課長 |
29 | 甲田宏 | 2013年 ※2015年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
8月 1日 - 2015年 7月31日陸上自衛隊富士学校機甲科部 (2等陸佐) |
第2陸曹教育隊長 |
30 | 大西弘城 | 2015年 | 8月 1日 - 2017年 7月31日第2戦車連隊副連隊長 (2等陸佐) |
陸上自衛隊富士学校機甲科部 |
未 | 本吉幸則 | 2017年 | 8月 1日 - 2019年 3月25日陸上自衛隊富士学校勤務 |
廃止時の主要装備
[編集]- 74式戦車
- 16式機動戦闘車
- 96式装輪装甲車
- 高機動車
- 1/2tトラック/73式小型トラック
- 1 1/2tトラック/73式中型トラック
- 3 1/2tトラック/73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
- 01式軽対戦車誘導弾
- 91式携帯地対空誘導弾
過去の装備
[編集]警備隊区
[編集]脚注
[編集]- ^ 部隊の配置状況・演習場との兼ね合い等諸事情により第22即応機動連隊機動戦闘車は連隊本部が置かれる多賀城駐屯地ではなく、第6戦車大隊の後釜として引き続き大和駐屯地に分屯して配備される
- ^ 「日本の機甲100年」(防衛ホーム新聞社)
- ^ “騎兵の魂 16式機動戦闘車入魂式 第6戦車大隊”. 陸上自衛隊第6師団広報紙やまなみ (2018年9月). 2018年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月25日閲覧。
- ^ “16式機動戦闘車「入魂式」|大和駐屯地”. 防衛日報デジタル. (2018年9月10日) 2021年10月27日閲覧。
- ^ “6師団・11旅団→「機動師団・旅団」”. 朝雲新聞 (2019年3月28日). 2019年5月3日閲覧。
参考文献
[編集]- PANZER臨時増刊 ウォーマシンレポート50 陸上自衛隊の戦車部隊 その歴史と現状 アルゴノート社 2016
- 陸上自衛隊機甲科全史 菊池征男著 イカロス出版 2017