第138独立親衛自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)
表示
第138独立親衛自動車化狙撃旅団 | |
---|---|
創設 | 1934年5月1日 |
所属政体 |
ソビエト連邦 → ロシア |
所属組織 | ロシア陸軍 |
部隊編制単位 | 旅団 |
兵科 | 自動車化狙撃兵 |
兵種/任務 | 機甲戦 |
所在地 | レニングラード州カメンカ |
編成地 | クイビシェフ |
通称号/略称 | 軍部隊02511 |
上級単位 | 第6諸兵科連合軍 |
戦歴 |
第1次ソ・フィン戦争 第二次世界大戦 キューバ危機 アフガニスタン侵攻 第1次チェチェン戦争 第2次チェチェン戦争 |
指揮官 | セルゲイ・マクシモフ大佐(代理) |
第138独立親衛自動車化狙撃旅団(だい138どくりつしんえいじどうしゃかそげきりょだん、ロシア語: 138-я отдельная гвардейская мотострелковая бригада、略称138 гв.омсбр)は、ロシア陸軍の旅団。第6諸兵科連合軍隷下。赤軍の第70狙撃師団、ソ連軍の第45親衛自動車化狙撃師団を前身とし、同師団の名誉称号「クラースノエ・セロー」、レーニン勲章、赤旗勲章を継承する。
歴史
[編集]戦前
[編集]- 1934年5月1日:クイビシェフにおいて、第70狙撃師団編成。沿ヴォルガ軍管区に配属
- 1936年9月:レニングラード市郊外に移動
- 1939年9月30日~1940年3月13日:ソ・フィン戦争に参加。師団は、フィン湾沿いに進撃し、テリーオキ(ゼレノゴルスク)、ロシチノ、プリモルスク、ウラス(ヴィソツク)で戦った。
- 1940年3月21日:師団にレーニン勲章授与
独ソ戦
[編集]- 1941年7月14日~18日:ソリツィ地区でドイツ軍の右側面に対して逆襲実施。その後、ヴィリツァ、プーシキン、シュシャルィ、コルピノ地区で防衛戦に参加
- 1942年10月16日:レニングラード防衛の功績に対して、第45親衛狙撃師団に改編された。
- 1944年冬:レニングラード封鎖解除に参加
- 1944年1月21日:クラースノエ・セロー奪取の功績に対して、師団に名誉称号「クラースノエ・セロー」、配下の連隊に「レニングラード」が授与される。
- 1944年3月22日:レニングラードの封鎖解除に対して、師団に赤旗勲章が授与された。
- 1944年6月:カレリア地峡防衛戦突破に参加し、ヴイボルグ北東、後にバルト沿岸で戦い、タリン攻勢作戦に参加し、クールラント軍集団の撃破に参加した。
戦後
[編集]戦後、レニングラード軍管区の第23軍団に配属される。
- 1956年:自動車化狙撃師団に改編
- 1962年:キューバ危機時、配下の自動車化狙撃部隊と高射ミサイル部隊がキューバに派遣された。
- 1972年12月13日:ソ連建国50周年を記念して、師団に記念名誉記章が授与される。
- 1978年:管区軍事会議の持ち回り赤旗が授与される。
- 1980年:師団部隊から独立自動車化狙撃旅団が編成され、アフガニスタンに投入される。
ソ連時代を通して、師団から20人のソ連邦英雄が輩出した。
ロシア連邦軍
[編集]- 1992年8月:師団が平和維持部隊に指定される。
- 1992年8月27日~10月10日:1個自動車狙撃大隊を沿ドニエストルに派遣
- 1993年5月18日~1998年6月5日:1個自動車化狙撃大隊を南オセチアに派遣
- 1994年6月17日~1995年6月4日:1個工兵中隊をアブハジアに派遣
- 1994年12月~1995年6月:第1次チェチェン戦争に参加
- 1996年6月:多国籍平和維持演習「平和の盾-96」に参加
- 1997年:第138独立親衛自動車化狙撃旅団に改編
- 1999年8月~2000年5月:第2次チェチェン戦争に参加
ロシア連邦時代、師団からは7人のロシア連邦英雄が輩出している。
編制
[編集]- 第667独立親衛自動車化狙撃大隊(軍部隊67616)
- 第697独立親衛自動車化狙撃大隊(軍部隊67636):BTR-80装備
- 第708独立親衛自動車化狙撃大隊(軍部隊67661):BTR-80装備
- 第133独立親衛戦車大隊(軍部隊52800)
- 第486独立親衛自走榴弾砲大隊(軍部隊67752)
- 第721独立自走榴弾砲大隊(軍部隊84647)
- 第383独立ロケット砲大隊(軍部隊 82265)
- 第1525独立対戦車砲大隊(軍部隊96459)
- 第247独立親衛高射ミサイル大隊(軍部隊07727)
- 第253独立高射ミサイル大隊(軍部隊84639)
- 第49独立親衛工兵大隊(軍部隊18427)
- 第511独立電波電子戦中隊(軍部隊63704)
- 第197特使・郵便勤務局(軍部隊48768)
その外、通信、物資保障、修理・復旧大隊、偵察、放射線・化学・生物学防護、衛生中隊、BUiAR、警備、VUNR、VUNPVO小隊、軍楽隊、演習場、ラジオ・テレビ・センターが存在する。
装備
[編集]- T-80 x40
- T-80K x1
- MT-LB x237
- BM-21「グラード」 x18
- 152mm自走榴弾砲2S3「アカーツィヤ」 x36
- 120mm迫撃砲2V16「ノーナ-K」 x18
- 100mm砲MT-12「ラピラ」 x12
- 自走対戦車誘導弾複合体9P149「シュトゥルム-S」 x12
- BTR-70/80 x5
- BRDM-2 x4
- 戦闘車9A33VM2(3)「オサ」 x12
- 戦闘車9A34(35)「ストレラ-10」 x6
- 自走高射機関砲2S6M「ツングースカ」 x6
歴代旅団長・師団長
[編集]職名 | 就任年 | 氏名 | 階級 |
---|---|---|---|
師団長 | 1934年4月 - 1937年10月 | S.フロロフ | 師団長 |
師団長 | 1937年10月 - 1939年5月 | K.シュムィリョーフ | 師団長 |
師団長 | 1939年5月 - 10月 | S.プロホロフ | 大佐 |
師団長 | 1939年10月 - 1940年1月 | ミハイル・キルポノス | 師団長 |
師団長 | 1940年1月 - 1941年7月 | アンドレイ・フェヂュニン | 少将 |
師団長 | 1941年7月 - 12月 | ヴャチェスラフ・ヤクートヴィッチ | 少佐 |
師団長 | 1942年1月 - 4月 | エフゲニー・ツカノフ | 大佐 |
師団長 | 1942年4月 - 1943年2月 | アナトーリー・クラスノフ | 大佐 |
師団長 | 1943年2月 - 1944年12月 | サヴェリー・プチロフ | 大佐 |
師団長 | 1944年12月 - 1947年9月 | イワン・トルソフ | 少将 |
師団長 | 1947年9月 - 1950年6月 | A.ミシチェンコ | 少将 |
師団長 | 1950年6月 - 1952年10月 | V.ソコロフ | 少将 |
師団長 | 1952年10月 - 1958年7月 | I.モシュリャク | 少将 |
師団長 | 1958年7月 - 1964年2月 | F.バチャリン | 少将 |
師団長 | 1964年2月 - 1969年6月 | V.グリゴリエフ | 少将 |
師団長 | 1969年6月 - 1970年7月 | L.コジェヴニコフ | 大佐 |
師団長 | 1970年7月 - 1973年8月 | N.ポポフ | 少将 |
師団長 | 1973年8月 - 1975年11月 | N.パトリケーエフ | 少将 |
師団長 | 1975年11月 - 1977年7月 | V.コプィチン | 少将 |
師団長 | 1977年7月 - 1980年7月 | N.マドゥドフ | 少将 |
師団長 | 1980年7月 - 1981年5月 | S.クズネツォフ | 大佐 |
師団長 | 1981年5月 - 1986年3月 | A.ボグダノフ | 少将 |
師団長 | 1986年3月 - 1989年7月 | A.オブホフ | 少将 |
師団長 | 1989年7月 - 1992年6月 | V.ハラルギン | 少将 |
師団長 | 1992年6月 - 1995年1月 | N.トカチェフ | 少将 |
師団長 | 1995年1月 - 1997年12月 | A.パパヒン | 少将 |
旅団長 | 1997年11月 - 1999年7月 | ミハイル・マロフェーエフ | 少将 |
旅団長 | 1999年8月 - 2000年7月 | イーゴリ・トゥルチェニュク | 少将 |
旅団長代行 | 2000年7月 - 9月 | バギル・ファトゥラエフ | 大佐 |
旅団長 | 2000年9月 - 2002年2月 | アナトーリー・エルキン | 少将 |
旅団長代行 | 2002年3月 - 7月 | アンドレイ・セルヂュコフ | 少将 |
旅団長 | 2002年7月 - 2004年6月 | アンドレイ・セルヂュコフ | 少将 |
旅団長 | 2004年6月 - 2005年6月 | ウラジーミル・ツィリコ | 少将 |
旅団長 | 2005年6月 - 2008年4月 | アレクサンドル・ロマネンコ | 大佐 |
旅団長代行 | 2008年4月 - 6月 | ウラジーミル・フロロフ | 大佐 |
旅団長 | 2008年6月 - | アリベク・アスランベコフ | 大佐 |