第10装甲擲弾兵旅団 (ドイツ連邦陸軍)
第10装甲擲弾兵旅団 | |
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創設 | 1959年5月31日 |
廃止 | 1992年8月31日 |
所属政体 | ドイツ |
所属組織 | ドイツ連邦陸軍 |
部隊編制単位 | 旅団 |
上級単位 | 第4装甲擲弾兵師団 |
最終位置 | バイエルン州 ヴァイデン |
第10装甲擲弾兵旅団(だい10そうこうてきだんへいりょだん、ドイツ語:Panzergrenadierbrigade 10)は、ドイツ連邦陸軍の旅団の一つ。旅団司令部をバイエルン州ヴァイデンに置き、旅団隷下部隊は主にオーバープファルツに駐屯していた。
歴史
[編集]第2次編制
[編集]1959年、アンベルクのヴィルヘルム皇帝兵舎にてA4戦闘群が編成され、のちに第10装甲擲弾兵旅団に改編・改称されて、第4装甲擲弾兵師団隷下におかれる。同年、旅団司令部はオーバープファルツのヴァイデンに移転する。当初の旅団の直轄部隊は司令部中隊、第106補給大隊、第100装甲偵察大隊および第105砲兵大隊から成っていた。
1959年に第100駆逐戦車中隊がヴァイデンにて編成される。第108装甲偵察中隊は1959年に改称の上で旅団直轄部隊として編入され、1963年に司令部中隊偵察小隊として再編成される。1959年に隷下部隊を基幹に第122装甲擲弾兵大隊、第123戦車大隊、第124戦車大隊、第126補給大隊が編成され第12装甲旅団に配転される。1960年、同年にアンベルクに駐屯していた第12装甲旅団隷下の第104戦車大隊が編入された。1960年1月から旅団は師団の教導旅団に指定される。1962年に第100装甲工兵中隊が編成される。1962年、第101装甲擲弾兵大隊(のちに第103装甲擲弾兵大隊に改称)の編成準備がなされる。1964年に第282装甲擲弾兵大隊が第102装甲擲弾兵大隊として旅団隷下となる。
第3次編制
[編集]1970年に旅団は第10猟兵旅団に再編成された。1972年に第100防空中隊と第106特殊武器防護中隊が解隊され、1971年に第104戦車大隊が旅団から離脱し第303戦車大隊に改称し第10装甲師団隷下となる。1971年にプフライムトにて第104駆逐戦車大隊が第100駆逐戦車中隊を母体に編成された。第100補給大隊は解隊されて第100補給中隊と第100整備中隊に成る。1979年に第100駆逐戦車中隊が編成された。
第4次編制
[編集]1981年に旅団は第10装甲擲弾兵旅団に改編・改称され、これに合わせて第101猟兵大隊は第104装甲擲弾兵大隊に、第102猟兵大隊は第102装甲擲弾兵大隊に、第104駆逐戦車大隊は第104戦車大隊に改編された。1992年に第101装甲擲弾兵大隊、第103装甲擲弾兵大隊。第105装甲砲兵大隊および第100装甲工兵中隊が解隊される。1993年に旅団は解隊された。
歴代旅団長
[編集]代 | 氏名 | 着任 | 離任 |
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1 | フリッツ・ラインハルト陸軍大佐 Fritz Reinhardt |
1959年3月16日 | 1960年1月15日 |
2 | ハインツ・フークルハイム陸軍准将 Heinz Hükelheim |
1960年1月16日 | 1962年6月30日 |
3 | フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベーメ陸軍大佐 Friedrich Wilhelm Böhme |
1962年10月8日 | 1966年3月31日 |
4 | ヨアヒム=フリチョフ・リントナー陸軍准将 Joachim-Frithjof Lindner |
1966年7月1日 | 1970年9月30日 |
5 | ゴットフリート・グライナー陸軍准将 Gottfried Greiner |
1971年4月1日 | 1973年9月30日 |
6 | オーギュスト=ヴィルヘルム・ヴォーゲル陸軍大佐 August-Wilhelm Vogel |
1973年10月1日 | 1975年1月31日 |
7 | ミヒャエル・シュヴァブ陸軍准将 Michael Schwab |
1975年2月1日 | 1982年3月31日 |
8 | ハンス=ヨアヒム・ミュラー陸軍大佐 Hans-Joachim Müller |
1982年4月1日 | 1984年9月30日 |
9 | ユルゲン・ライヒャルト陸軍准将 de:Jürgen Reichardt |
1984年10月1日 | 1988年3月31日 |
10 | ヴォルフガンク・ザント陸軍准将 Wolfgang Sand |
1988年4月1日 | 1992年3月31日 |
11 | ミヒャエル・ヴァルター陸軍大佐 Michel Walther |
1992年 | 1992年8月 |