第1軍団アディウトリクス
第1軍団アディウトリクス( Legio prima adiutrix)はローマ軍団の一つ。恐らくはネロに反旗を翻したガルバによって68年に編成されたものと考えられている。軍団の最後の記録は344年、軍団が属州パンノニアのブレガティオ(現在のハンガリー、コマーロム近郊)に駐在していた事が最後となっている。軍団の紋章はカプリコーン[1]、それに合わせて紋章にはペーガソスも用いられ、軍団のガレアにはイルカも用いられた。[1]
起源
[編集]この軍団の前身は第1軍団クラシカ(Legio I Classica)とされる。ローマ皇帝ネロによって招集され、ローマ海軍の陸兵から集められ、ガルバによって軍団として編成された。当初この軍団はローマ近郊に駐在していた。
四皇帝の年
[編集]混乱の生じた四皇帝の年、軍団はオトの側に立ってベドリアクムの戦いに参戦、ウィテリウスに敗れる[2] 。勝利したウィテリウスは敗れた第1軍団アディウトリクスに対してスペイン赴任を命令[3]、赴任地でバタヴィア人の反乱分子と戦った。
モグンティアクムへの駐在
[編集]モグンティアクム(Moguntiacum - 現マインツ)は記録で判明している最初の駐屯地である。同地で第14軍団ゲミナとともに駐在。主に建築作業に従事していた。83年にはシャッティ族がライン川を越え、ドミティアヌスの命令によりこれを迎撃する。その後軍団はパンノニアのドナウ川流域へ移動、ダキア討伐に参加する。
アディウトリクス・ピア・フィデリス
[編集]96年にドミティアヌスが暗殺されると、ドナウ川沿岸の軍団が大きな政治的役割を立ち回る事となる。次の皇帝ネルウァにトラヤヌスを後継者とするように圧力をかけ、トラヤヌスが皇帝となる。その恩義に対して軍団は「ピア・フィデリス(Pia Fidelis - 『忠実で誠実なる軍団』の意)というコグノーメンが授けられた[4]。101年から106年までトラヤヌスの命により第4軍団フラウィア・フェリクス及び第13軍団ゲミナとともにダキア人討伐に参加、新たな属州ダキアを設置する。そしてトラヤヌスは第1軍団アディウトリクスをパルティア討伐(115年-117年)にも参加させるが次のハドリアヌスになると後方のブレゲティオ(Bregetio)まで転属させられた。
その後十数年間、軍団はドナウ川の国境沿いに駐在し続け、マルクス・アウレリウスの時代にはマルクス・ウァレリウス・マクシムスの指揮下でマルコマンニ族と戦う。171年から175年までの短期間だけ軍団はペルティナクスの指揮下にあったが、セプティミウス・セウェルスが帝位につくとこれに参加。ローマまで進軍する。
その後の数十年間の所在地は再びパンノニアとなり、連戦のパルティアとの戦争の一部を担う。具体的には195年の戦役、そして197年から198年まではセウェルス指揮下で198年クテシフォンの戦いに参加、215年から217年までカラカラの指揮下で、244年にゴルディアヌス3世指揮下でパルティア遠征に参加した。